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能楽師への道⑦ ~高校・大学、そして初めての能~ 

まただいぶ間が空いてしまいました。。。


さて前回は14歳で現在の師匠のもとに入門したところまで。
その後、舞囃子を何番か舞いました。
順序が怪しいですが、「海人」「野守」「加茂」「安宅」など。
その間高校受験、大学受験がありましたがほぼ休みナシ。
高校受験のときはひと月前、大学受験はふた月前まで「気分転換ですから」と言ってお稽古に通っていました。
さすがにそれ以降は師匠から強制的に休まされました。
そりゃそうですよね、趣味に没頭して受験失敗したなんてなったら、教える側としても責任感じられますものね。。。
(そんな中でもいちお、ストレートで受かってます。えっへん!)
今と違って趣味ですからたとえ覚えてこなくたって、まーなんとかなるっちゃなるわけで(不真面目)。
でもそこまでやっていたということは、やっぱり僕は能が好きだったわけですね。

そして大学2年生、ハタチのとき初めて能を舞わせていただくことになりました。
もちろん玄人としてではありません。
装束を着るのは子方時代以来、能面を掛けるのは初めて。
囃子事はなーんにも知らない状態でした。

曲は「田村」
なんでこの曲になったのかはよくわかりませんが、今考えると結構ヘビーです。
前シテの語りは3ページくらい一人でしゃべんないといけないし、前後とも型が多いし。
が、何も知らないことはある意味強いことで、能をやるというのはこんなもんなんだろうと思っていました。
(恐らくプロになって今まで勤めたどの曲よりもセリフが多いです)

舞っているときは無我夢中だったので、そのときどんな気分だったかはさーっぱり覚えていません。
今改めてそのときのビデオを見直すと…見ちゃいられません。

でもそのときワキを勤めていただいた方からえらくほめていただき、その前後に師匠と奥様からプロになったらいいのにねぇなどと言っていただき(ご本人方は覚えていらっしゃらないかも)、僕は自分でもはっきりとは意識しないながらも着実に能楽師への道を歩み始めていったのです。
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能楽師への道⑥ ~14歳~ 

最近舞台関係のネタがないので、思い出したようにまた書きます。

そういえば前回書いた「花月」のときに一つ大事なことが。
そのときがたぶん現在の師匠(って言い方はちょっと変だけどうまい表現が。。。男性の師匠)とお話した最初のときだったと思います。
確か切戸口で「緊張してる?」と聞かれ、「うん」とか答えたような。
ひょっとすると「コドモだってちゃんと緊張するんだよ~」とか小生意気なことを付け足したかもしれません。。。(汗)

その後は修羅物の仕舞や舞囃子を何番か舞いました。
「経政」「生田」「箙」など(「八島」もやったかも)。
修羅ノ型がカッコよくてしょっちゅうやっていたような気がします。

そうこうしているうちに中学生に。
その頃まで先代のご宗家に稽古していただいていたのですが、お忙しくなって素人弟子まで見られなくなってしまったとのことでした。
たしか1年生の終わりか2年生になったばかりの頃だったと思います。

僕も声がすっかり低くなってしまい、幼い頃から見てくださっている女性の先生とは声の高さが合わなくなってしまっていて、やはり誰か男の先生に見てもらったらどうかということになりました。
その男の先生というのが現在の師匠です。
僕は14歳。
師匠とは17違うので考えてみると今の僕の年齢とそう違わないことになります。

初めてお稽古に行ったときは謡・仕舞とも「羽衣」でした。
信高先生のお稽古のときはその日お稽古したところを先生が「アンショウ」と鉛筆で書かれ、次回はその部分を無本で謡うということになっていました。
先生は変わってもそれは変わりないと思い必死で覚えて言ったのですが、1週間の間に3ページは結構厳しいものがありました。
次のお稽古のとき謡本を出さないで謡おうとしたら、師匠のほうがびっくりされて「見ていいんだよ」とおっしゃいました。

もうそのときから14年。
早いものです。。。

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能楽師への道⑤ ~舞囃子「西王母」・「花月」~ 

妙に目が冴えて眠れなくなってしまったので、こんな時間に更新です。
ネタは…、案の定忘れ去られていた〝能楽師への道〟

前回子方時代を一通り書きましたが、少し話は前後します。
舞囃子について。
これは能の一部分を囃子入り、紋付袴で舞うことです。

初めて舞ったのは小学校2年生。
曲は「西王母」で〝剣を腰にさげ~〟です。

当然囃子のなんたるかなんてぜーんぜんわかりません。
ただ笛の唱歌だけを聞き分けられるように訓練し、先生に教えていただいたとおりに舞うというだけ。

ビデオを見てみるとクリクリ坊主が青い紋付に縞の袴姿でちょろちょろ舞っています。
でも子供というのはずるい。
ただ舞台にいるだけで見る人の頬を緩ませてしまいます。
今の自分が全力でこのビデオの少年に戦いを挑んでも、見ている人の印象度合いでは勝てないかもしれません。

もちろん技術としては稚拙。
はやく動きすぎてしまってじぃーっと一箇所で待っていたり。
でもそれって大人では決してできないことなんです。
子供は「先生がホウホウヒが来るまでじっとしてなさい」と言われればどんだけ時間が余っていても素直に待つことができます。
でも大人になるとそうはいかない。
時間つぶし的にじっとするというのは、ものすごーくつらいことなのです。
大抵我慢しきれずに動いてしまい、どんどんどんどんはやまってしまいます。
決まったところまで動かずにいられるというのはちゃんと笛が聴けているからで、我ながらこの少年の落ち着きに驚かされました。

その後「猩々」を舞ってからは子方を卒業するまでおやすみ。
次は「花月」でした。
この曲からしばらく79世金春信高先生に稽古をみていただきました。
(自分のプロフィール上、信高先生に師事とは書いていませんが、これはこの期間が短かったのと、プロになってからは見ていただく機会がなかったためです)
はっきり言ってこの曲はちゃんと舞おうとするとすごく難しい曲です。
ではなぜこの時期に舞うことになったか。
シテの花月が幼い少年であるためによく子供が舞うことがあるというのが一点。
あともう一つは、これは推測なのですが、たしか同じ時期ある先輩が能でこの曲を舞っていたのです。
信高先生のお稽古で僕のちょうどあとにお稽古に来られていた5つ上の先輩です。
この先輩をして、先生は機関紙で〝神童〟という表現を使っていました。
じゃこのちびっ子にも同じ曲を舞わせてみたらどうなるか、そんな風に思われたのではないかと思うのです。

結果はそれはひどいものでした。
割と成長の早かった僕は「西王母」のときのような可愛らしさを失い、中途半端な声と猫背が目立つただのガキんちょになってしまいました。
稽古をサボっていたということはなかったと思います。
鞨鼓という舞は両手に2本の撥を持って舞うのですが、その撥捌きは好きでよく稽古していました。
それでも、それを補って余りあるほど今ビデオを見てみると出来がよくないのです。
思うに最もぱっとしない時期だったと思います。

けれどこの舞台はその当時の僕にとってもショックがあったようで、それ以来日常生活でも姿勢を良くしようと決意した記憶があります。
そして玄人としての初シテがやはり能「花月」であったのも、このときの記憶が少なからず残っていたからなのでした。

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能楽師への道④ ~子方時代~ 

「桜川」のあと、いろいろな子方を勤めさせていただきました。
僕と歳の近い能楽師の子供は何人かいたのですが、子供は子方として舞台に立てる時間は短く、歳が2つでも違えばもう世代がかわってしまうということもあります。

勤めた曲は、以降「草紙洗小町」「百万」「舟弁慶」「安宅」「昭君」で都合6曲。
そのうち「舟弁慶」は4回勤めたのでのべ回数としては9回ということになります。

不思議なことにどれも断片的に記憶は残っています。
たとえば「昭君」のとき。
子方は王昭君の役なのですが夏休み明けでしっかり日焼けしてしまっていました。
いくら子方とはいえ、絶世の美女がこれじゃ…ということで、始まる直前に国立の近くにある床屋さんでおしろいを塗ってもらって舞台に出ました。
鬘を結って唐織を着て鏡の前に立つと、「あ、わりとカワイイかも」と思ったり。
橋掛りを歩いていくとそばに座っていたお客さんが「あのこ男の子かな女の子かな?」なんて言っているのも聞こえました。
でもあとあとになって写真を見てみると、どっからどうみても確実に男の子で間違いありませんでした。。。

「安宅」もよく覚えています。
このときは家元がシテをされ稽古もよくみていただきました。
金剛杖を突いて歩くのがなかなかうまくいかず、棒切れを持ってはよくそんな真似をしていました。
後半のハイライトシーンとして弁慶が義経から金剛杖を奪い取って散々に打ち据えるという有名な場面があります。
お稽古のとき先生が「形だけだからね」と仰っていたのですが、本番になるとカツカツ当たってしまい、目深に被った笠を押さえながら「先生当たってますーっ」と焦っていました。

そんなこんなで、1年生から4年生まであっと言う間の子方時代でした。

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能楽師への道③ ~初めての子方~ 

またまた大きく間があいてしまいました…。

さて前回は仕舞での初舞台を果たしました。
今回は能デビューです。
(いつも気になるんですが〝初舞台〟というのは文字通り初めて舞台に立ったときなのか、有料の会のときなのか、どちらなんでしょう??後者だとすれば今回が初舞台ということになります)

記録を見ると1985年4月21日となっていて、僕は小学校に上がったばかりの6歳です。
場所は国立能楽堂で、曲目は「桜川」でした。

この曲の子方は最初のほうに出てきて、立膝でちょこんと座っていて最後のほうになったら帰るだけ。
セリフもありません。

割とその当時のことは鮮明に覚えています。
稽古のとき、初子方ということもあってかなりお稽古をしていただいたのですが、歩くときに目がキョロキョロしたり口がもごもごしたり、そのあたりを結構注意されたりした記憶があります。
謡がなく、歩くだけという動作にだんだん飽きてきて、行進のように手を振って歩いて先生を呆れさせてしまったこともありました。

さて当日。
申し合わせのときは足が痛くって座っている間7回足を組み替えましたのですが、当日は我慢して3回に減らし、我ながらよく頑張ったナァとちょっと誇らしげに思っていました。
大きな事故もなくおとなしく座っていたと思うのですが、気持ちはそこにあらず。
ちょうど目の前に祖母に似た人が座っていて、「おばあちゃん来るっていってなかったはずだけどなー」と考えていたり、時計をちらちらみては「まだまだだー」とか思っていました。
国立の時計は中正面の後ろあたりにあったはずなので、かなり首を動かしていたことになります。

子供にとって約1時間じっとしているのは拷問に近いものらしく、泣き出してしまったり眠ってしまったりということがままあるようです。
そう考えてみると、落ち着きはなかったもののちゃんと座ってちゃんと帰った僕は我ながら優秀!(自分で言ってりゃ世話ないです)

というわけで僕の子方時代が始まります。

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