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息抜き 

昨日はたまの休み。
味の素スタジアムへ。
5年ほど前にバイトの先輩に訳のわからないまま連れていかれて以来、FC東京にハマリちょくちょく足を運んでいます。
とはいえ職業柄休日に仕事が入ることが多くなかなか行けず、今回で今季4回目。

いや~、昨日は開幕戦以来のいい試合!
得点こそ2点だったものの内容的には圧勝。
それも首位ガンバ相手で。
残念ながらもう優勝には届かないものの、残り試合全部勝ってくれるような勢いでいってくれないかなぁ。

翌日稽古があるので声はセーブしていたつもりだったのに(もちろんゴール裏)、気がついたら見事にガラガラ声に。
いやー、でも楽しかった!!


それにしてもよく飲んだこと。
まず昼飯で1杯、スタジアムで2杯。
で、また下高井戸に帰って他の先輩と合流し、とんかつ屋で2杯と日本酒おちょこ1杯。
外に出て店頭で売っていたベルギービールを1本。
もう一軒行ってグレープフルーツサワー1杯…。

体がもたんわ!!

最後の店ではもうクラクラしてましたです。
なにせ先輩たちが強くて、僕が帰ったあともう一軒向かってました。

恐るべし、鉄の肝臓…。
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和の美を育む会 

ここのところ忙しくないようで何となく忙しく、かといって書くべきネタもなくちょっとさぼっておりました。

さて今日は宅稽古、出稽古のあと夜はタイトルにあるパーティーに参加してきました。
この催しは師匠(女性のほう)のお弟子さんで染色関係では相当に著名な方がいらっしゃって、この方が親睦会として年に1度開いていらっしゃいます。
この方、御年85歳というのですがとにかくお元気でパワフル。
森光子さんをイメージしていただけるとそう遠くないと思います。

出席者は名だたる方ばかりで(今日は「三毛猫ホームズ」シリーズで有名な某大物作家と一緒に写真を撮らせてもらっちゃいました)、僕がこんなところにいるのは場違いなような感じなのですが、「ご飯を食べにいらっしゃい」とここ数年お誘いいただいています。
会はさすが「和の美」といわれるだけあって3分の2以上が着物。
恥ずかしながら僕は羽織というものを持っていなくて、いやなくはないのだけど中途半端なものは着ていけないという雰囲気なのでスーツにしました。

さて、能楽関係者は僕の師匠(男性のほう)ご夫妻と先輩ご夫妻がご招待されていました。
師匠がご挨拶と小謡(能のなかのごく短い部分の謡い)を謡うことになっていたのですが、急遽師匠が舞い、先輩と僕で地謡を謡うことになりました。
曲は「猩々」
お稽古で十二分に謡ってきたので、非常に気持ちよく謡わせていただきました。


会が終わってから皆さんでもう少し。
立食で立ちっぱなしだったので、座って一息しました。

いや、しかし・・・
師匠については以前からすこしづつ書いていますが、師匠の奥様がまたとーーってもすごい方。
一言でいうといい意味で男らしい。
僕なんかとてもじゃないし、僕の周りに上回る人は浮かばないくらい。
でもがさつとかそういうのでは全くなくて、おっしゃることが極めて正論で竹を割ったようなご性格。
更に高校生のとき春高バレー全国大会出場経験があり、かつ学年2位の成績を修めたという文武両道(ちなみにこの話は師匠の酔ったときののろけ話で聞きました)。
今もママさんバレーに燃えていて、試合で肉離れしていても自転車で帰ってきて何事もなく家事をされてしまうというスーパーウーマン。
更に更に金春流においても師匠や先輩方を一致団結させる原動力となり、非常に流儀のことを考えていらっしゃるという方。
それだけでなく、新年会で手料理を振舞われるのですが、これがどれも非常においしい。
365日メニューが変わる、というのはやはり師匠ののろけ。
そして非常にお綺麗。
常々思うのだけど、年齢に見えないコンテストや友達母娘コンテスト(中学生のお嬢様がいらっしゃる)に出場されたら絶対に賞が取れるくらいお若い。
とにもかくにもお会いするたび、すごいなーと思ってしまうのです。

そんな奥様を射止めた師匠は、僕にもそれを求めているらしく、ちょっと仲良くなった人がいたりすると「あの子と結婚するなんて言ったら破門だからね~」とか。
いや別にそんな気はないんですが…。
でも師匠ご夫妻は僕が結婚を決めて先生のもとへご挨拶に行くことを、相当楽しみにされているようなので、師匠孝行のためにもいい人を見つけないといけないなぁ・・・。

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彦根へ 

土曜日は彦根城博物館にある能舞台での催しでした。

曲目は「井筒」
シテが師匠のお父様、地頭が師匠で僕は地謡。
鎌倉薪能でも2日謡いましたが、ともに一部省略でした。
今回は久しぶりのフルヴァージョン。
気合が入ります!

が、この舞台とーっても寒かったこと。
見所は屋内、舞台は中庭状になった中に建てられています。
東京で新幹線に乗り込む前は、ジャケット着ているとちょっと暑いかなくらいだったのですが、米原で降りた瞬間、寒っ!
16時の時点で気温は13℃。
能が始まったのは18時半過ぎだったので気温はもっと下がっていたことでしょう。
切戸から出て座った途端、予想以上の寒さ。
こう寒いと足のしびれも早く、初同(次第の地返という小さな声で謡う箇所を除いて、地謡がその曲で初めて謡う部分)のときにはもう感覚がなくなりかけていました。
でもその寒さもひとたび謡い始めればなんのその。
冷たい秋風が吹く中、雰囲気のよい舞台になったのではないかと思います。


終演後、東京組はホテルに行き、軽く(?)打ち上げ。
ビール一杯、日本酒2合で結構気持ちよくなってしまいました。
その最中、師匠がふと「自分の親の地頭できるのは幸せだなあ、って感じながら謡っていたよ」と。
確かに流儀内でみてもそうできた方は少ないし、他流をみてもなかなかいらっしゃらないのではないかと思います。

今まで10年に1人ペースでしか人がいなかった中、僕と師匠の17歳の間には9人の先輩がいます。
その中でも腹心というか、師匠を兄貴分のように慕う方が何人かいて、その皆さんが結集すると非常にまとまった力強い地謡になります。
僕もその中で地謡の一員として謡わせてもらうことがよく(というほとんどがそう)ありますが謡っていて非常に楽しい。
そんな地謡のあと師匠は決まって「みんながしっかり謡ってくれるおかげだよ。誰が地頭だかわかんないくらい」と笑っておっしゃいます。
決まってみんな「いやいや地頭が謡いやすく引っ張ってくれるからですよー」と、こんなやりとりになります。
今日はシテのお父様からも「なかなかええ地謡やった」(←関西ご出身なので)と。

17年後の自分は師匠のような地頭になれるかな。
…というよりならなきゃだめだ!
師匠を超えるくらいに。

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つくばエクスプレス初乗車 

学生能があったので茨城県は下妻まで行ってきました。

秋葉原まで出て、つくばエクスプレス(TX)に乗車。
この仕事しているといろんなところに、いろんな乗り物で行けるのは楽しい!
乗り物好きにとっては嬉しい限りです。
秋葉原の駅は案の定相当深いところにあって、たどり着くまでに結構かかりました。
大江戸線といい、新しい路線はそこがちょっと難。
でもこの路線便利。
3年前に行ったときには、取手まで出てあとはひたすらえっちらおっちら関東鉄道に揺られてました。
今回は守谷まで出てそこから関東鉄道。
結局秋葉原から1時間半くらいで着きました。

しっかし関東鉄道って運賃高すぎでは?
TXも安くはないけど、だって守谷-下妻間約30分の乗車で930円ですぜ。
噂では日本で1番高い鉄道だとか。
930円払えば、小田急なら新宿から小田原あたりまで行けそう。
2両編成のディーゼル車で、みんな席につけるくらいの乗車数となれば、その程度運賃設定じゃないと採算合わないんでしょうけど。


さて舞台。
曲目は能「羽衣」
僕は副後見でした。
その前に解説と簡単なワークショップがあり、担当した師匠の補佐として出ました。
今日は高校生がお客さまでしたが、聞くと昨日まで中間テストだったそうでちょいとお疲れモードだったかもしれません。
解説が始まる前からスヤスヤなんて子も。
ワークショップでは10人ほどに舞台に上がってもらって一緒にやってもらいました。
学生相手だとこういうパターンで、言葉は悪いですけど一人犠牲になってみんなの前でやってもらったりするとだいたいウケます。
今日は喜怒哀楽の表現として、シオリ・ユウケン・両手打ち合わせの型をやりました。
師匠が説明し、僕が実際にやってみせることになりました。
ユウケンの型をやったあと師匠が「チョー嬉しそうでしょ?」なんておっしゃったらこの日一番の大うけ。
師匠、もう40も半ばだというのに言葉がお若い。。。

20分ほどのワークショップを終え、狂言「附子」のあと能へ。
「羽衣」は衣を正先に出した松の作り物にかけるのと橋掛りの欄干にかける方法と2種類ありますが、今回は橋掛り自体がなかったため前者のパターンになりました。
ここで後見として気をつけなければならないのは衣のかけ方。
ワキ方の流儀や家によってこの置き方が異なるのです。
前もって確認したところ、今回は左手前に襟がくるようにして下さいとのことでした。

そしてこれを舞台に置くのも後見の仕事です。
能の場合予めセットしておくのではなく、舞台が始まってからセットすることも一つの所作として扱われます。
そのため雑な動きにならないようにと心がけていたのですが、あとでふと疑問がわきました。

シテが橋掛りから舞台に入ると(今日はこの辺で舞台だろうなというあたりから)後見も切戸口から舞台に入ります。
「羽衣」の場合は、途中で物着といって返してもらった羽衣を後見座で着る動作があります。
僕はそれをシテの後ろにまわって着せる役目です。
別に難しいことは何もありませんが、着せたあと鬘帯と面紐を外に出しておかねばなりません。
それとこれはちょっと企業秘密的な部分ではありますが、抜き襟にならないようにちょっと細工をします(別にたいしたことじゃないんですが)。
これが済むと副後見の仕事はあとは作り物を引くだけなのですが、ドキッとしたことが。
長絹の背中のラインが曲がってる!
こういうのを見つけるとホント生きた心地がしません(汗)
やばいなぁちゃんと着せたつもりなんだけど主後見に直してもらうべきかな、と考えましたが、よくよくみるとある型のときシテの癖でやや体が左に傾いでいて、その結果斜めに見えるのでした。
ほっ、びっくりした。

さてワキも退場し作り物を引くことに。
さっき湧いた疑問というのはこの持ち型。
塚や萩屋などの作り物はなるべく上に持ち上げないことが原則です。
となると、これもやっぱりそうか?
そう考えてみると、なんとなしに前かがみになって持っている絵が浮かぶような。
ということでそういうふうに持ってみました。
実際持ってみると歩幅を大きく取れないので歩きにくかったです。

終わった後。
「帰りの持ち方、お茶汲み人形みたいにチョコマカ動いてなんかおかしかったよ」と先輩から。

う~ん、作り物一つ持つのも難しい…。

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はぁ… 

今日は昼間の研究会。
舞囃子「吉野静」を舞いました。

この曲は稀曲と言っていい曲であまり上演機会がなく、僕も見たことがありません。
来月の名古屋での催しで出るのですが、シテが関西の方なので今回は舞う人がおらず、僕は当日地謡にもついてないので、勉強のために舞わせてもらうことになりました。
三番目にしては珍しく現在物(幽霊などが出てくるのではなく、物語の中で生きている人によって現在進行形ですすめられる形式)で、登場人物も今が旬の静御前と佐藤忠信。
これだけ見るともっと上演されてもよさそうですが、物語はなんとなくわかったようでよくわからない展開な上、謡の節がちょっと複雑(地謡も大変そうでした)、舞ってみると型や割り当てもやや不自然な感じがします。

そんな曲なので気にかけていたつもりなのですが…。
その前に「羽衣」の舞囃子があり“然るに月宮殿の有様~”なんて聞いているうち、「吉野静」も“然るに”で始まるなとか“神道を重んじ朝家を敬い”だったか“朝家を敬い神道を重んじ”だったけなぁとか、頭を駆け巡っていました。
この昼の研究会は重鎮の先生もいらっしゃって、大勢の方に見ていただけます。
「いいとこ見せなくちゃ!」という気持ちが悪いほうにいってしまったのかもしれません。

舞い始めて間もなく一句思い違いしましたが、特に崩れることなく進んでいきました。
上羽の謡で鼓が予想外の手でしたがこれも冷静に対処。
全体的には問題なく進んでいったようなものの、どことなくしっくり来ない感じでクセを終えました。
問題は序ノ舞。
序の足拍子(拍子に合わない笛のところで2回足拍子を踏みます)が大小物に慣れないせいかあまり上手くいかない感じで進み、その後初段まで早め早めの割り当てになって進んでしまいました(やはり後で師匠からご指摘がありました)。
初段ヲロシのあたりで持ち直したかと思った直後、落とし穴が。
地謡方にに進んで足拍子があるのですが、「あ、もうちょっと奥までいったほうがいいかな」と思った瞬間、何でもない足拍子を踏み間違え。
冷静になってあとミスしないようにと思ったら、直後の二段の足拍子に踏み遅れ。

…その後は持ち直し、キリは無難にいったかとは思うのですが、連続のミスというのは非常に宜しくないです。
終わったあと「表情がいつになく硬かったけど緊張してたの?」と。
たぶんそうです。
「あの一瞬(足拍子を踏み間違えたとき)別のこと考えてたでしょ」とも。
確かに。

今日のは起こるべくして起こってしまった感じ。
流れが悪い状態が続いてそこで噴出してしまったような。
でもそこで踏ん張れるか、あるいは自分の流れに引き込めるかが技量なんでしょうね。
始まる前から少し弱気になっているというのも問題。
例の「淡路」以降、ちょっと舞台が怖い感じがぬぐえない。
この前の「誓願寺」は謡い舞うのが精一杯だったのに加え、地謡がメロメロになっていたので、もう何も考えずにひたすらやっていたのですが、今回は下手に色気が出てしまったのも原因かもしれません。

それよりも最も大きいのは、たぶん稽古量の少なさ。
先週までは猛烈に忙しく、とにかく地謡やらを覚えるのが第1で自分の稽古は後回しになっていました。
3連休が終わってから、少し気が抜けたのか体調を崩し、持ち直してからもいまいち気合が入りきらない状態が続いていました。

僕はもともと気が小さく、十分な準備のないものに対しては非常に心もとなく思えてしまいます。
そのために稽古量を上げ、とにかくこれだけやったという自信をもって舞台に立ち向かっていました。
その基礎が崩れれば、うまくいかないのは自明の理です。

稽古しなくちゃ。
もっと馬鹿みたいに稽古しなくちゃ。
でも僕は意志が弱い。
催しが迫ってないとエンジンがかかりきらないかもしれない。
だからとりあえず言葉にしてみよう。

とりあえず「吉野静」リベンジとして、来週・再来週中に序ノ舞10番連続で舞う!

…別にこれをしたからって、技術的によくなるどうこうってことはないでしょう。
でも身体的・精神的にはかなり辛いはず。
時間も2時間はゆうに超えるでしょう。

なんとなく馬鹿をしたい。
むしろ今はしなくちゃいけない気がする。
実行したら、このブログで報告します。

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喜多能楽堂へ 

今日は目黒へ。
そう、会場は喜多能楽堂(正しくは喜多六平太記念能楽堂というらしい)。
初めて行くのでわくわくしていました。

小雨の中、目黒の駅からテクテク。
地図で“ドレメ学院”という目印が書いてあって、なんの学校だろうと思っていたら“ドレスメーカー学院”の略なんですねぇ。
結構規模が大きいみたいなので、ひょっとしたら有名な学校なのかもしれません。

5,6分歩いて到着。
楽屋は綺麗で縦長な造り。
切戸口の隣に装束の間があるのは初めてだったのでちょっと不思議な感じ。
幕の隣に小部屋があって、大きな窓から舞台が見られるようになっているのも斬新な印象でした。
ただ、音がだいぶさえぎられてしまうので結局他の能楽堂と同じように幕の隙間から見ていました。

そして舞台に大きな特徴が。
以前から写真で拝見したことはあったのですが、笛柱が1本独立して立っています。
地謡はどうやって出て行ったらいいのかなぁ?と悩んでしまいましたが、先輩に聞いてみたところ気にしないで壁沿いに出て行っていいとのことでした(舞囃子のときは柱の外をまわって出ました)。

さて公演について。
演目は舞囃子「高砂」能「卒都婆小町」
僕は高砂の地謡を謡い、卒都婆(略称)は楽屋働き。
高砂は来月の研究会で全く同じ寸法の地頭が控えているので、少し気にしながら謡いました。

そして卒都婆についてはちょっと触れておかねばなりません。
この曲は能の中で最も難しいとされる老女物のひとつで、金春流ではとても重い扱いになっています。
金春流の老女物は現宗家金春信高先生が復曲活動をされるまで、金春宗家の一子相伝の秘曲である「関寺小町」以外この曲しかありませんでした。
そのため平常勤められる曲としては最も重い曲となり、宗家一門で50歳以上、弟子家では還暦を過ぎないと勤めることができないというのが暗黙の了解となったようです。
現在では「伯母捨」「檜垣」という曲も復曲されましたが、今なお重い扱いは変わらず、暗黙の了解も守られています。
他流では老女物というより狂女物に近い扱いになっていて、40歳そこそこでも勤められるそうですが、それはきっと前に挙げた以外にも「鸚鵡小町」など老女物が現行曲として存在したためでしょう。

そんな卒都婆。
あらすじ。
卒塔婆に腰掛けているおばあさんがいたのでお坊さんが注意したら、逆に仏教問答で説き伏せられて、聞けばそのおばあさんは小野小町のなれの果てでした。そんな小町おばあちゃんと語らっているとふと様子が変わり深草少将の霊がとり憑き半狂乱になりますが、やがて我に返りました。
というストーリー(かなりおおざっぱ)。
さあ、そんな舞台はというとーっ。
…働きでちょこちょこ動き回っていたので、あまりゆっくり見られませんでした。
残念…。

そう舞台中にとんでもないことが!
シテが舞台に入って程なく、
グラグラグラ!!!!
後で聞いたところ震度4だったそうです。
それにしても間の悪い地震だこと。

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疲れが… 

今週は比較的ゆとりあるスケジュールでした。
でも三連休の舞台三連戦が終わってから、どうも体調が下り坂に。
鎌倉薪能2日間で気温差が恐らく10度近くあった(初日は汗、2日目は息が白くなるほど)のが大きな原因だと思いますが、少し気が緩んだのでしょうね。

よくよく考えると、能楽を仕事にし始めてから毎年一度くらい寝込んでしまうようになってしまいます。
おととしは「この花」という曲が復曲され金春流初演となりました。
僕は臣下の役を勤めたのですが、ワキツレ的な役で1時間50分ほど途中1度立つ以外座りっぱなし。
長く座る役は初めての上、初演でシテは師匠。
せっかくの舞台に泥は塗れないと、相当気を張っていました。
結果、大きな問題なく勤められたのですが、翌日から41度の熱が出て一週間寝込むことに。

実家の僕の部屋が夏恐ろしく暑く、冬外より寒かったというのも手伝ったとは思うのですが、秋から冬にかけては疲れが出る時期で危険です。
周りを見てもそのようで、9月の末あたりから国立の研究生たちもバタバタと倒れていきました…。

今年は師匠が「鉄輪」にかけている意気込みがひしひし伝わっていたので、それが終わってちょっとほっとしたみたいです。
さっき国立に行って「あっ揺れてる!」と思ったのに、花瓶の水は静か。
事務の方に「疲れすぎてるんじゃないの?」なんて心配していただく有様。
でもさっき風邪薬を飲んだらだいぶよくなった感じがするので一安心。


今度の日曜日から土曜日まで催しが3つあるので、また気を引き締めて頑張らなきゃ!!

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ろうそく能 

10日はろうそく能
曲目は「鉄輪」
浮気した夫を妻が呪い殺そうとするが、安倍清明の力によって防がれるというちょっとエグいストーリーです。
(ちなみに春に師匠がこの曲を舞われたときは、間狂言(貴船神社に仕える者)を野村萬斎さんが勤められていたので、どうも変な感じでした)

当日はあいにくの雨で、見所(客席のこと)は外にテントを張っていたものの、入場してから間もなくテントが破れたのか、ビシャーという音とともにお客さまの悲鳴が…。
肌寒くもありご覧なる方は大変だったのではないでしょうか。

さてこの曲。
思ったより作り物の準備が大変。
国立での上演のときは、出来上がっていた祈祷台にチョイチョイですんだのですが、今回は一から作りました。
あまり大掛かりな物ではない割りに、結構な時間がかかってしまいました。
写真は国立での上演のときに使用したものです。
20051012055958.jpg


雨漏りの処理で開演が20分ほど遅れてのスタート。
地謡は5人と小規模ですが、地頭の師匠がものすごく張り切っていらっしゃたこともあり(前日シテを勤められたというのにホント元気)、力いっぱい謡いました。
(ただ初めの一句で間違えそうになってしまったのは大反省…)
やっぱり鉄輪は面白い、というか師匠の謡う鉄輪は面白い!
囃子方も若手の編成でしたが、思い切ってやっていただけたようでした。

今週は大小の稽古で僕も一人でこの曲を謡うので、頑張って謡ってみます。

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薪能2日目 

2日ともかなりの高確率で雨という予報のなか、薪能は奇跡的と言っていいほどの確率で両日とも開催することができました。

2日目は師匠の「井筒」
天候は危なかったものの、今度はクセを入れての上演でした。
やっぱり井筒はクセを謡っておかないと。
居グセ(舞グセに対してシテはじっとしたまま謡を聞かせる演出方法)でもあり、業平と紀有常の娘とが結ばれるいきさつを語るこの部分は、この曲最大の聞かせどころでもあるのです。
やっぱりクリ・サシ・クセを抜いていきなり“げにや古りにし物語。聞けば妙なる有様の~…”だと、意味が通じなくなっちゃいますしね。

「井筒」という曲は本三番目物を代表する非常に難しい曲ではありますが、「伊勢物語」の有名な箇所を取り上げたなじみのあるストーリーである上、雰囲気が非常によいため薪能などイベント的な催しでもよくとりあげられます。
そのまま上演すると確実に1時間半を超えてしまうため、だいたい短縮型で上演となってしまうのが実情ですが、やはり薪能の雰囲気にはよく合います。
一番の見せ場である“業平の面影”と業平の形見の衣装をまとった自分の姿を井戸の水面に映す場面。
動きが止まり音のない空間に包まれる…。
静寂の雄弁さというか、これこそが能の醍醐味ではないでしょうか。


さて鎌倉薪能は一曲が金春流、もう一曲は他流の能が演じられます。
今年は「是界」で観世流(観世流は「善界」と表記)と喜多流でした。
初日の観世流は銕仙会の方だったのですが前場に面(怪士?)に黒頭といういでたちでした。
この曲は7月にツレを勤めたこともあり両日ともじっくり拝見させていただきました。

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鎌倉薪能初日 

今日から鎌倉薪能

毎年10月8・9と行われる催しで、今年で47回を数える関東では最も古い歴史をもつ薪能です。
会場は大塔宮(鎌倉宮)。
もーーーのすごく雰囲気がいいです!!
鎌倉の街からちょっと離れているため静かで、周りは森、聞こえるのは虫の声…。
そんな環境なのです。
僕も小さい頃「舟弁慶」の子方として、家元・師匠のお父様とご一緒に舞台に立たせていただきました。

そんな薪能も去年は、その年一番の大型台風に祟られ、朝9時に中止が決定してしまうという残念な結果に終わってしまいました。
今年も天気予報は軒並み雨。
昼に東京を出発したときも雨。
でも、
奇跡的に天気が回復!!
無事薪能はできました。
ただしいつ降ってもおかしくない状況だったので、「井筒」はクリ・サシ・クセ抜き。
「井筒」ってなんといってもクセが一番聞かせどころなので、ちょっと欲求不満。
ま、天気がこうだったらしょうがないですわな。

いつも終わる頃は凍えるほど寒いのに、今日は汗だくだく。
のぼせたか鼻血まで出ちゃうし。。。

帰りは師匠にグリーン車の券をおごっていただき、はるばる関西からいらした師匠のお父様のお弟子さん(小さい頃からかわいがっていただいてるおばあちゃんのような方)にビールをおごっていただいて帰りました。


明日はすっきり晴れるといいな。

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珍客 

昨夜銭湯に行った。
ここのところ東京はぐずついた天気が続き、洗濯が出来なかったので乾燥機をかけがてら。

入ってしばらくすると、ちょっと挙動不審な若い人が入ってきた。
どうも銭湯は初めてらしく、シャンプーも石鹸も持っていない。
しばらく迷った挙句、軽く浴びて上がっていった。

それからしばらく経って上がってみると、脱衣所にまだその彼がいた。
銭湯に来るには似つかわしくない、リュックを手にネルシャツ、薄汚れた白い靴下という格好だ。
ちょうどロッカーが隣だったのだが、僕が着替え始めると追い出されるように出て行った。

外に出ると土砂降りになっていた。
乾燥機にかけた洗濯物を取りに行く。
また彼がいた。
別に洗濯をするでもなく、ただフラフラとしている感じ。
どうも様子がおかしい。
意を決して
「旅でもされてるんですか?」
と声をかけてみた。
家出して3日目という答え。
この雨で動くに動けないようだったので、「傘でも貸そうか」というと黙って彼は着いてきた。
ちょうど百均で買った傘が1本余ってたのだ。
マンションに着き傘を渡すと、なんとなく彼は佇んでいる。
「ちょっと中入ってく?」
はい、と言ってテーブルの前に座る。


「何か飲む?」
彼は1リットルの紙パックジュースを持っていて、それでいいという。
ひととおり質問してみた。

21歳、家からすぐ近くにある大学の4年生。
就職は決まっていない。
親と喧嘩して家出して、ここ2日は大学で寝ている。
パソコン入力のバイトを週5・1日12時間やっている。

「友達の家に泊まったりしないの?」
みんな家が実家なのだそうだ。
「友達はどのくらいいるの?」
3人。それも1対1のつきあい。
一緒に酒を飲みに行ったこともない。
それどころか酒を飲んだことがない。
「将来何かやりたいことはあるの?」
しばらく考えて、事務、という。


…人生楽しいのかなぁ???
聞くのも野暮だったが念のため。
「彼女いる?」
まぁそうだろう。
「欲しいとは思う?結婚したいとかは?」
またしばらく考えて、「…まぁ、そうですね」

それから40分くらいとうとうと僕の人生哲学を語ってしまった。
「無茶できるのは大学が最後のチャンスだぞ」
とか、
「なんでもいいから限界だ!と感じるくらいのことをやってみたら」
とか
「海外旅行行くとか、国内一人旅してみなよ」
とか。

手ごたえのない返事が返ってくる。

もっと具体的にしてみた。
「とにかく大学卒業するまでにあと5人友達を作れ」
「明日バイトにいったら誰か一人食事に誘え」

でも、同じような反応。


どうも彼は自分の意見というものがないようだ。
いや、多少は考えがあるんだろうけど、それを人に伝えられるくらい思考がまとまっていない、それを表現できる自信がないという感じだ。
聞けば高校のときも同じような感じで友達が少なかったらしい。
理由は言わなかったが、親との喧嘩の原因もそんなところに起因しているのだろう。

「日記でも書いてみたら?」
と、新たに提案してみた。
僕の高校の国語の先生がよく言っていた。
「口でしゃべるだけじゃなくて、ちゃんと文字にして書き記してみなさい」
口でしゃべるだけ、頭で考えるだけだと何となく思考がまとまった気はする。
あるいはまとまってなくて、途中でやめてもなんてことはない。
でも、紙に書いているとひとまとまりの論理の流れをつけるのは、思ったよりはるかに大変だし、中途半端に終わろうとするとその中途半端がカタチとして残ってしまう。

僕が思うに、彼は人に伝えようとするものが浮かばない、あるいは考えがまとまらないから人との接触を避けてしまっているのではないか。
何か「僕はこう思う!」ということがあれば、もう少し人と接しやすくなるのではないか、と思った。
この提案に対しては、前よりも少し強く反応したような気がした。

家出したというのは、彼の今までの人生からすると相当な冒険なようだ。
何か殻を破りたいという気持ちはある。
でもどうしていいかわからない。
そういう感じがする。

泊めてあげようかとも一瞬思ったが、余計な親切は彼のためにもならないし、今晩は少し僕の言ったことを一人で考えてもらうほうがいいかもしれないと思ってやめた。
傘は餞別としてあげた。


ものすごくお節介なことをしたけど、彼の人生が少しでもいい方向に向かう一つのきっかけになってくれれば、と思う。

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今日のショッキングな出来事 

師匠のお稽古に向かっている千代田線の車中。

はっ!
せっかく作ったお弁当忘れてきたああ!!!


…ということで、夜はそのお弁当を食べましたとさ。。。

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誓願寺 

昼間出稽古のあと研究会へ。
今日は「誓願寺」のシテ、「鍾馗」「鉄輪」「野守」の地謡を勤めました。

「誓願寺」は半能だったのですが、これが非常に大変。
公演で丸能でやるとなれば、少なくともあと15年はお許しがでないであろう本三番目の重い曲です。
和泉式部の霊がシテで、内容は平たく言えば一遍宗礼賛の曲なのですが、詞章は仏教用語が並び難解で、位が非常にシッカリです。

さて舞ってみた結果…。
やっぱしひじょーに難しかったです。
出端のアトの拍子合わずの謡が習いになっていて、これがなかなかはまりませんでした。

謡には大きく分けて拍子合と拍子の2種類があります。
これは簡単に言うと囃子方が打つ楽器のリズムに合うか合わないかなのですが、不合だからといって好き勝手謡っていいかといういうとそうではないのです。
不合の謡を謡いながら、ポイントポイントで囃子の手を聞きつつ合わないながらかみ合っている状態にならねばなりません。
今日もなかなか自分の思惑どおりいかず大変でした。
きっと自分の謡いたいように囃子を打たせ、かつ囃子方からみても自分の打ちたいように打てる状況というのが理想なのでしょう。
まだまだ力不足です。

でも最近こういう曲もつけていただけるようになったというのは、よくとれば「まぁ、コイツにつけておけばなんとかなるだろ」ということなので、期待に応えられるよう一番一番必死に勤めなければなりません。
この曲が決まって2ヶ月ほど心の片隅にずーっと引っかかっていたのですが、その意識の甲斐あってか師匠や先輩からは「よく舞ってたね」と言っていただけました。

「鉄輪」は師匠が地頭。
これは本当に楽しかったー!
夫を奪われた妻が、浮気した夫とその愛人を呪い殺そうとするというかなりエグイ曲ですが、ものすごく謡い甲斐のある曲です。
やっぱり師匠が地頭するとスゴイ。
一体感が生まれるというか、地謡の一員として謡っていてもとっても謡いやすいし、縦横無尽に膨らましながらもリズムを崩さないので囃子方からも信頼が厚いのです。
僕も一句ごとに息を使い切って、お腹がぺったんこになるのを感じながら目一杯謡いました。
終わったあと小鼓の方から師匠に「楽しませていただきました」という声も。
来週の月曜日が本番。
あ~、楽しみ♪
(って、お客さまより舞台の人間が楽しんじゃダメかも…)


家に帰って緊張が解けたら、どっと疲れが出てきました。。。

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ツレの同吟 

ここのところバタバタとしていて更新が滞ってしまいました。

日曜日は金春会
「紅葉狩」のツレでした。
申し合わせのときに女構え(右手を体にひきつけ左手を張った構え)と、謡の注意をいただいたのでその点が課題でした。
構えについては気を配ったつもりですが、謡のほうはイマイチでした。
同吟のゆったりした謡というのは本当に苦しい。
息も絶え絶えになってしまい、ツレとして調和のある地謡を謡えたかどうかというとちょっと課題の残る舞台となってしまいました。

こうした謡がなぜ苦しいか。
同吟の場合はシテに高さや位をシテに合わせなければならず、自分の間合いで謡えないのが最も大きな原因だろうと思います。
しかし、それなら地謡も辛いはず。
地謡との違いは立っているか座っているか。
立っているときの姿勢にも問題があるのかもしれません。
来年「高砂」や「氷室」のツレといった同吟のツレが控えているので解決しておかねばならない課題となりました。

今回もう一つ苦しい経験をしました。
鬘の紐をきつく締めすぎたこと。
前の曲でみんな出払ってしまったため、順番につけることとなり、僕はかなり早い時間に装束を着けてもらいました。
ちょっときついかなと思っていたのですが、まあ大丈夫というくらい。
でもいざ幕に立ったあたりで、あたたという感じになってしまいました。
謡が終わって下に居るときにはかなりつらくなり、足の痺れは大丈夫だけど、立った途端にふらつかないか心配でした。
なんとか無事立ち上がって帰れたものの(ツレの立ち上がるタイミングがずれてしまいましたが)、これも今後注意しなければなりません。

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