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今年の舞台を振り返って 

年内の仕事はもうほぼ終わり。
振り返ってみると、たぶんプロになってから一番稽古したかなと思います。
喉は慢性的に痛くなっていたり体がちょっと悲鳴をあげ始めているので、年末は少し体を休めようかなと思っています。
手始めに今日は何もしません。
まー、今日ってのは淋しい気もしないでもないですが…。


今年いただいたお役
1月 円満井会定例能「昭君」ツレ
3月 円満井会定例能「箙」シテ
6月 金春会定期能国栖」天女
7月 座・SQUARE公演「是界」ツレ
9月 円満井会定例能「土蜘」太刀持
10月 金春会定期能「紅葉狩」ツレ
12月 国立能楽堂企画公演「この花」太刀持
このほか研究会などで舞わせていただいたのが数番ありますが割愛。

地謡は…、いったい何番謡ったんでしょう???
能は40~50番くらい、舞囃子は(研究会ばっかりだけど)70番くらい、仕舞は…見当がつきません。。。
手帳をめくっていると、「知章」なんていう超稀曲謡ったのも今年だったんですね~(しみじみ)。

来年もすでにいくつかお役をいただいているので、近いうちにまとめて書こうと思います。
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今年最後の舞台 

国立能楽堂企画公演復曲能「この花」がありました。

前々日の申し合わせ、そして当日までシテと豊公はあれこれ試行錯誤して大変そうでしたが、見ていてきれいにまとまった感じでした。
僕の役も多少立つタイミングやらを変えました。
着座したら太刀を右脇に置くという予定だったのも、志願して持ちっぱなしにしてもらいました。
太刀持という役は他の曲にも結構あり、「小袖曽我」「橋弁慶」「土蜘」と勤めさせていただきましたが、「土蜘」で頼光の脇に太刀を置く以外には置くという動作がなく、また今回は僕から動き出さないといけない場合が多かったので、10分程度なら持っていられるだろうと思って、志願してそうさせてもらいました。
飛び切り軽い太刀を用意していただいたのですが、切戸に引いた後はさすがに腕が痛かったです…。

今回上演時間は1時間40分と結構長いものになりましたが、その中でみんな口を揃えてスゴイ!と言っていたのは間狂言。
今回は山本家当主・山本東次郎先生がされましたが、20分という長い時間全くダレることなく聴衆を惹きつけていました。
すごくきれいなお話でこれで能が1曲出来そうなくらい!
終演後、あまりに美しかったので、この部分を録音したMDから起こしておくように、という冬休みの宿題を仰せつかりました。
う~ん、20分しゃべりっぱなしって、原稿用紙何枚になるんでしょう??

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NHK教育・新春能狂言収録 

NHK教育で元旦朝7時から放送される番組(リアルタイムで見るのはまず無理でしょう…)の収録を、国立能楽堂でしてきました。
曲は「翁十二月往来・父ノ尉・延命冠者」です。
何だか長ったらしいですが、普通の「翁」+αです。
不勉強で詳しくはよく知りませんが奈良で毎年行っている上演形態でだそうです。
翁は通常“翁蜀光”という模様の狩衣を着用しますが、十二月往来では全身白で統一され、かつツレに2人翁が登場します。
曲としては通常の翁の途中に12ヶ月のめでたい謡が挿入されます(なんとなく日本全国酒飲み音頭を連想してしまう僕はバチあたりでしょうか…?)
その後、千歳を勤めた狂言方(上懸りはシテ方が勤めます)が面を掛けて延命冠者となり、翁のシテが面を替えて父ノ尉となりそれぞれ短い謡を謡います。
これでシテ方の翁は退場。
その後三番三になります。
(今日は大蔵流のためこの表記。でもこの小書のときで和泉流のときってあるのかな??)

ちなみに今回シテが着用した面は、金春宗家に伝わる“伝・聖徳太子御作の翁面”です。
あくまで“伝”ですけど。

僕は地謡のハナ(一番ぺーぺーのこと)でした。
名前は最初に出るでしょうけど、たぶん画面にはほとんど映りません(笑)
前が小鼓で完全にブロックされていましたから。
ちなみに師匠はツレをされたので大きく映ります。
いつも思うのですが、師匠はホントに翁烏帽子がよく似合います。
って言うと、いつも師匠のお返事は…、恐れ多くて書けません。

申し合わせ(というよりリハーサル)が終わって間1時間で本番。
足、とっても痛かったデス。


その後、師匠や先輩が来週乱能(本来の役以外の役で能などを勤める、お祭りのような舞台)があるのでそのお手伝い。
舞囃子「高砂」の囃子をされるので、僕は地謡をしました。
なんとかとおりましたが、皆さんかなーり苦しんでいらっしゃるようです。
最後一度僕が神舞を吹かせてもらいました。
師匠が笛をされるため僕の笛をお貸ししていて、我が笛とは2週間ぶりのご対面。
神舞三段くらいなら、と思ったものの、久しぶりのせいか全然音が出ない。
結構自信あったのに…。
吹き終わったあと先輩から
「なんちゅーか…あんまたいしたことなかったねぇ(笑)」
とバッサリ。
今日一番のショック……。

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能楽師への道① ~能との出会い~ 

そういえば何で僕が能楽師になることになったか、どうして能をやるようになったかということに全然触れていませんでした。
折に触れ、振り返って少しづつ書いていってみようと思います。


僕が能を始めたのは2歳…らしいです。
はっきり何歳だったという記憶は当然ながらありません。
別に代々能を生業とする家というわけではありません。
父は祖父の代から続く小さな鉄工所を経営、母は専業主婦です。

母は結婚する前、ある高校で国語の教師をしていました。
前後関係がちょっと不明なのですが、高校の同級生の叔母さんが能の先生をしていて、古典に興味があったためその先生について始めたのだそうです。

やがて結婚し長男である僕が生まれ、まだ手の放れない僕をつれて稽古に通ううち、見よう見まねでいつの間にか始めていた、、、というのが僕と能、そして師匠との出会いです。

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いきなり… 

今日は師匠のお稽古。

すると、
「今日は特にやることないから乱拍子教えてあげる」
冗談かと思ったら、本当。

この前後見で見させてもらったので、なんとなくは頭に入っていましたが、教わってやっと順序立てて理解できました。

「もう教えないからね~」
と師匠。

かくして、乱拍子を伝授されたのでした。

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謡い方 

午前中に研究会。
能「東方朔」の地謡を謡いました。

地謡座に座ってから恐ろしいことに気がつきました。
シテの出の前に地謡がある!
普通地謡というのは舞台が始まってからしばらく出番がないので(次第の地返しは別として)、クリの謡から覚えていたました。
だ、大ピンチ!一句も覚えていません。
幸い、シテの出からやりましょう、ということで事なきを得たのですが一瞬ゾッとしました。

その後「是界」のツレもやりました。
安座(あぐらをかくようにすわること)の仕方が良くなかったのか、すんごく足が痛かったです…。

その後、師匠のお父様方とお昼へ。
その席で、
「キミはまだ声で謡ってるね」
というご指摘が。
「謡はどれだけ上手く息を吸えるかが大事なんだよ。そうすればしゃべるの同じで一曲謡っても全然苦しくないし疲れない」
「でも若いうちは声を張り上げたくなるし、できるうちにそうしておかないとそれで止まってしまう気がするし…、ま、難しいね」
と。
正直、意味はわかったような、わからないようなです。
そういえば、前に囃子方の先生からも、
「キミの謡はちょっと声に頼りすぎだね」
ともいわれました。

なるべく謡いながら喉に負担のかからないような謡い方を心がけてはいるのですが、なかなか思ったとおりにはいきません。
特に稽古能などでは思わず力が入ってしまい、終わったあと喉が痛い…なんてことがよく、というよりほとんど毎回あります。

うぅ~ん、謡ってむつかしい…。

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不満! 

何が不満かって、今日の舞台。

もっとプロ意識を持てや!ゴルァ!!


…なんだかマズイこと書いてしまいそうなので、やめます…。

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金春能楽堂 建設 

発表会のあと金春流協会忘年会へ。
これは金春会という年8回行われる流儀の会に出勤する能楽協会員を対象に日頃の労をねぎらって、また親睦を深めるという会です。

実は定期的に行われる催し(例会といいます)は、地謡・後見・働きなど流儀内の人間は出勤料というものが出ません。
それぞれの勉強のためと、普及という目的でやっていますので。
(さらにシテを舞う場合は、決して少なくないお金を払って舞台に出ているのです。あとは切符をどれだけ売れるかが勝負)
でもシテを勤められた方から何もなしでは、ということで“おごり”というかたちでこういう会をしてもらえるのです。

会は毎回幹事の先生が知恵を絞られていろいろな会場になります。
過去、屋形船貸切なんてのもありました。
今回は後楽園近くの料亭でした。
が、
発表会が終わって荷物を置き、慌ててでてきた僕は会場の地図はおろか携帯さえも忘れてしまい、後楽園を背にして歩いて、なんとか3丁目というバス停のそばというわずかな記憶だけが頼り。
…でも案の定、路頭に迷う結果に。
しばらく歩いて交番が見えたのでそこで訊いたのですが、なんと地図に載ってない!
でもおまわりさんの記憶と、小石川3丁目というバス停が一致したのでとりあえずそこに行ってみました。
結局さらに迷ってしまったのですが、なんとかかんとか到着することはできました。
実に最寄の駅を降りてから30分。
まっすぐ行けば5分ほどのところでした…。

駆けつけ3杯ではありませんが、とりあえず何杯かビールを空け、勧められるまま焼酎も。
僕はこれがダメで、必ずつぶれてしまいます。
苦い経験もあるし…。
やはり相当に酔っ払い、挙句の果て少しウトウト。
司会の方(実はそれが本業の方)の目にそんな僕が留まってしまい、なぜか花笠音頭を踊るハメに(小学生のときに学校行事でやったので)。
なんで大先生方を前に座布団持ってこんなことしてるんでしょう??

その後なにか一言、といわれ「ええい酒の席だ!」と思って普段思っていることを言いたい放題しゃべらせていただきました。
それは、
金春能楽堂建設ということ。

家元の住まわれている所を本拠地とすると、現在そこに能楽堂がないのは金春流だけなのです。
なので、会をするときには国立能楽堂や他流の能楽堂を借り、稽古をするにも橋掛りつきの正規の寸法で気軽に借りられる稽古場はほとんどといっていいほどないのが実情です。
最近ある程度広い空き地を見るたび、ここなら能楽堂が建てられるな、とかそんなことばかり考えてしまいます。
じゃあ造ればいいじゃん!と言ってもそんな巨額の費用を捻出することは、今はまず無理。
もし天からお金が降ってきたとしても、今の流儀の状態ではたぶん数年で経営が行き詰ってしまうでしょう。
そのためには流儀一丸となってその目標に向かっていく必要があります。
若手で稽古会を開かせて下さいということもお願いしました。
そしてそのメンバーを中心に、50年後舞台を建てたいということも訴えました。

洗いざらい僕の思っていることを言わせてもらいましたが、そこここでどこに建てるのがいいとか話す声も聞こえ、おおむね好感触を得られたという手ごたえはありました。
帰りがけ師匠とお父様にも「今の君しかいえないことだし、その気持ちを忘れちゃだめだよ」と仰って下さいました。

この計画を夢物語で終わらせるつもりはありません。
今はとにかく流儀を大きくするというのが第一歩。
そのためにはまず稽古。
今、僕は流儀で一番稽古しているという自信がありますが、それはこの想いによるものに他なりません。
50年後、僕が77歳を迎えるときに能楽堂が建つよう、僕の戦いは続きます。

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発表会 

今日は師匠(女性)社中のお弟子さん方の発表会がありました。
今回は仕舞・独吟だけの会でしたが、他の先生方社中の応援もあり番数は40番を超え、賑やかな会となりました。

この師匠の会は僕が代稽古させてもらっている方も何人かいらっしゃるので、結構大わらわになります。
男性陣の着物を用意して、空いた時間に着付けたり、舞にあった扇を選んだり。
地謡も19番ついていたので、ほとんど走りまわっている状況でした。

会は僕の番外仕舞「経政キリ(流儀によっては「経正」と表記)に始まり、続いてこのブログでも時々触れている4歳の女の子と11歳の男の子の兄妹の仕舞。
「老松」「小鍛冶」でしたが、二人ともよくできました!
しかし、子供は得ですよねー。
もう舞台に出てきただけでその場の雰囲気がかわりますもの。
僕にもそんな時期があったんでしょうねー、きっと(しみじみ)。

その後最高齢は80歳を超える方まで皆さん元気に勤められました。
地謡で後ろから見ていると思うのですが、皆さんそれぞれ個性があって同じ仕舞でも変化があります。
特に長い間稽古を重ね、それとともに年齢を重ねた方は、技術云々を超えて深みというものがでてきます。
これは残念ながら僕がどれだけ稽古を積んでも出すことは出来ないモノ。
能って生涯学習的なそういう面白みがあるんですよね。

中には「頭が真っ白になっちゃいました~」なんておっしゃる方もいらっしゃいましたが、それも大事な経験の1つだと思います。
そういう部分も含めて舞台というのは面白い!
僕もつい最近、舞台上で全くセリフが出てこなくなり、作詞作曲してなんとか乗り切ったという非常に苦い体験をしましたが、そういうものを乗り越えて一歩深みが増していくのだと前向きに考えています。

趣味としてやってらっしゃる皆さんにとっては、一回の舞台というのは得がたい体験です。
是非是非これをステップアップの機会として、より深い能楽観的なものを持っていただけたらと願っています。

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都合5回 

今日は都合8時間ほど正座してました。
睡眠時間より長いし…。

まず朝は師匠のお稽古。
「東方朔」「生田」をあしらって(大小、太鼓の手を打ってもらうこと)いただきました。
が、「東方朔」2句目から詞章すっ飛ばし!
2回目はなんとかつながりましたが、ちょっと不安を残しました。

その後国立へ。
来週行われる催しの申し合わせ。
この会は育成が目的のため、若手が中心。
でも各役の超一線級の先生方が見所から目を光らせているため非常に緊張します。

その申し合わせの前、下申し合わせを大小の方とやりました。
金春流が小規模な流儀の上、「生田」という曲が他流では非常に遠いそうなのです。
金春流は従来、他流ではメジャーな「敦盛」がなかったため、敦盛を扱った曲はこの「生田」のみで、舞も中ノ舞ということもあって、アマチュアの方の発表会などでもわりと上演する機会があるのですが(ちなみに他流では「敦盛」と区別するため「生田敦盛」と表記します)。

その下申し合わせ。
地謡は僕一人しかいなかったのですが、とりあえず1回。
その後地頭も到着し、もう一度。
この時点ですでに今日3回目。
で、申し合わせ。
う~ん、ちと危ないところがありました…。

さて、夕方にそれも終わり、夜は流儀の若手研究会。
問題の「東方朔」に「是界」「富士太鼓」、更に「生田」。
ここ数日苦しめられ続けてきた「東方朔」。
地謡が謡い出すまでは少し時間があります。
その間必死に頭の中で謡を繰り返していました。
ツレの出端(デハ)のあと、いよいよ謡い出し。
“不思議や西の~、空よーりーーもーーー”。
この一句でも結構神経を使います。
気を抜くと「是界」の“不思議や雲の内よりも”になりかねません。
でも少し謡い進めていくと、やっぱり地頭って楽しいわ、という気持ちが。
油断大敵と戒めながら、なんとか絶句することはなく終えることができました。
ちょっと不勉強で、もう少し囃子の手を考えた謡をすべきだったところが一箇所あり、それは反省点です。
うん!でもそのところはこれでしっかり頭に刻み込んだし、これで今後間違えない!
そう、レッツ・ポジティブシンキング!!

終了後、今年最後の研究会ということもあって、囃子方の若手お2人も誘ってみんなで忘年会。
このご両人とも昼の申し合わせから一緒。
特にお一方は朝、「定家」という超へビーな申し合わせもあったそうで、やっと肩の荷がおりたようでした。
僕も懸案事項が一段落し、弱いくせにハイペースで飲んでしまいました。
笑いの絶えない飲み会でしたが、いつもの悪いクセでちとしゃべり過ぎたかも…。

結局帰りは1時をまわってしまいました。

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「源氏供養」という曲 

特別公演も終わり、ホッと一息…とはいかないのが我々若手のツライところ。
大鼓の稽古がありました。

先週の木曜にあったのでインターバルが短い。
その上曲のめぐり合わせが悪く「源氏供養」
その量9ページ、打ちっぱなし。
更に謡自体がえらいこと難しいのです。
普通能の拍子は一句が8拍で出来ていますが、片地という6拍で終わる変則的な謡が3句連続で出てきてかつそれぞれ手が違ったり、ウラアタリという半間半間で拍子が当たるというこれまた変則的な謡が2回出てきたり、謡うだけでもとにかく大変なのです。
昨日の帰りから謡本にかじりついていたものの、結局どうにも間に合わないので、午前中事務所は休みにしてもらい実家でひたすら稽古していました。

夕方国立に行くと、小鼓方1名、狂言方1名そして僕と出席は3名。
(金春流は他に2人いるはずなのにぃー!!)
が、たった3人なのに稽古時間は2時間半近く。
先生がいろいろなお話をしてくださったためです。
来た甲斐があったというもの♪

問題の「源氏供養」は稽古の甲斐あって無事合格。
でも通すとやっぱり長い。
僕1人で1時間くらい(お話含むで)みていただきました。

その後某ワキ方のパーティーに参加させてもらいました。
発起人の1人が昨日「道成寺」を舞われた先輩だったのです。
てゆーか先輩元気すぎ。
クラブを借り切っての大々的な会でした。

でもお酒もそこそこに、終了後はまっすぐ帰宅。
だって、明日は「東方朔」の地頭(それも地謡1人で地頭)が。
夢見の悪い日は続く…。

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特別公演 

特別公演無事終了しました。
舞台に出る人間としてもそうですが、昨年来事務方としても携わってきたので、盛会裏に終わりホッとしています。

さて舞台。
まずは「雨月」
申し合わせの反省を踏まえ、声のコンディションを整えて臨みました。
秋の趣を感じさせる曲ですが、動きが少なく相当に渋いものです。
ご覧になるお客さまも大変かな、と思っていたのですが、後日「すごくしっとりしていていい曲でしたね」なんてお声をいただきました。
そういったお言葉を聞くと頑張った甲斐があったなぁと思います。
最も僕はまだ前列のペーペーなので、一曲の出来を左右するという力はありませんけど。。。
でも将来、こういう曲でしっかりと場面を作り上げられる地頭になれたら本当に楽しいでしょうね~。

狂言「福の神」と25分という長めの休憩を挟み、いよいよ「道成寺」
乱拍子、猛烈にシッカリしていました。
時間にして30分強。
後見座から観ている分には長さを感じさせない緊迫感でした。
ネジを巻くように静寂の濃度を高め、時折響く笛の音がサーッと吹く風のように一瞬和らげる…、やっぱりこの贅沢な時間の使い方は能ならではです。

が、そんな気持ちの一方、足は激しい悲鳴を上げます。
しかしみんなピクリとも動きません。
これは脂汗が出るほどに辛いものがありますが、わずかな物音でさえ完全な静寂の中では激しい騒音となってしまいます。
より良い舞台にするため、絶対に動かない!という想いが舞台上を支配します。
これはきっと見所にも伝染していて、この間はお客さまもかなり疲れるのではないかと思います。
そういったシテ・小鼓のみならず舞台・見所が一体となった緊張感が高まりに高まり、それが極限に達することにより堰を切ったように急ノ舞・鐘入りにいけるのだと思えてきます。

最後、シテが幕に入る前、後見は幕の内側で待っています。
「道成寺」の場合、謡の途中で幕に飛び込みます。
「深淵に飛んでぞ入りにける」と最後の力を振りしぼって、シテが飛び込んできました。
死力を尽くして舞いきったという想いが、面を通して聞こえる荒い呼吸から感じ取れました。
完全に謡が終わって、構えを解き面を取ると笑顔の先輩がそこにはいました。
各お役と挨拶をするとき、その先輩が小鼓の方と抱き合って喜んでいるのを見て、不覚にも涙がこぼれそうになってしまいそうになりました…。
帰りがけ「3回(意識が)飛びそうになった」との言葉どおり、小鼓方も並々ならぬ決意でこの舞台に臨まれていたようです。


僕がこの曲を勤められるのは早くともあと10年ほど先のこと。
それまでに「お前のためなら死ぬ気で舞台勤めてやるよ」という皆さんと一緒に舞台に立てたら…。
そう思われるようになるためには、これからの一番一番の舞台が本当に勝負です。
舞台でなくても、稽古でも日常でも。
能楽師という職業は一生を修行僧のようにして過ごすものなのだな、と改めて思う日となりました。

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特別公演申し合わせ 

いよいよ今週末に迫った特別公演の申し合わせ
やはり「道成寺」となると申し合わせでも雰囲気がいつもと違います。

まずは先日苦労した「雨月」の地謡。
とっても雰囲気のいい曲ですが、この日は直前にあった大鼓の稽古で気張りすぎて声がガラガラ。
当日はコンディションを整えて臨みマス。

そして「道成寺」。
鐘を吊った状態で後見座に座るとこんなに暗く感じるんだなぁ、というのをまず最初に感じます。
シテを演じる先輩は落ち着きながらも、とっても気合の入った様子。
当日は目で追うことはできないのでじっくり見させてもらいました。

物着、大鼓の一調、地頭による地返し、そして乱拍子。
乱拍子というのは、言ってみれば小鼓とシテとの命を懸けた戦いです。

鼓の音色と激しい掛け声。
そして静寂。
その積み重ね。

鼓と掛け声がギリギリと静寂の度合いを高めていくような、この感じが道成寺の醍醐味です。
今日は申し合わせなのでさわりだけやっておしまいでした。

その後視覚的なハイライトである鐘入りとなるのですが、これは実際に飛び込むのは本番だけ。
安易にやって当日に支障をきたしたりしたら大変です。
鐘は落としてみますが、シテは横にいてタイミングをはかるのみなのです。


シテの先輩は何かゲンを担いでいるのか無精ひげを蓄えていました。
本当に能が大好きな先輩。
飲むと本当に熱く、そして嬉しそうに能について語ってくれます。
この曲にかける意気込みも並々ならぬもの。
僕も後見の一人として、しっかり見守らせていただこうと思います。

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