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駆け出し能楽師の奮闘記
敷居が高いと思われがちな能楽の世界を、能とは関係のない家から飛び込んだ私・中村昌弘の奮闘を通じて少しでも身近に感じていただけたらと思います。

廃曲と再会

昼間は時間があったので洗濯物を一気に片付けました。
しばらく天気はいいみたいですが、最近予報がコロコロ変わりますから。

ひととおり終わって、今度は手紙を書きました。
14日に行われる研鑽会のお誘いです。
平日の夜とサラリーマンには厳しい時間帯ですが、ダメモトで何人かに送ってみました。
もうあと2週間になってしまいましたが、まだ22回しか舞ってません。。。
がんばんないとー!

昼頃実家に寄って3時間ほど稽古。
やることたっぷりで、あれよあれよと言う間に時間が過ぎてしまいました。

夕方からは国立で稽古。
まず小鼓の稽古で「小督」を謡わせていただきました。
思った以上にシッカリきたので驚きましたが、捉え方にだいぶ幅がある曲のようです。

そして僕は「錦木」を見ていただく予定だったのですが、ひとつ知識を得ました。
この曲、大倉流自体ではあるのですが、大倉家では勤めないことになっているのだそうです。
非常に特殊なことではありますが、この件に限ったことではなく、能楽界では他の流儀、他の役職でもこういったことは聞いたことがあります。
理由は、以前その曲を勤めている最中に倒れたことがあるからとか、勤めたあと間もなくして亡くなったということが続いたことがあるからといったことによるそうです。
ちなみに金春流では特にそういった曲はないそうですが、師匠には「この曲好きじゃないから僕のなかで廃曲!」ってのがあります(笑)

その後太鼓の稽古も受けて、終わったのは8時過ぎ。
最後までいた2人とご飯でもということになりました。
代々木のイタリア料理屋に行ったのですが、食事をしていると突然他のお客さんから声を掛けられました。
はて?品川庄司の品川に似てるけど、この人誰だっけ??
と3秒ほど考えていると、あ!!
大学のクラスメートでした。
僕はクラスではわりとアウトロー気味だったのですが、彼とは1度のみに行って、2度マージャンをしにいった記憶があります。
この近くに勤めているそうで、舞台は是非観たい!と言ってくれました。
いやー、偶然というものはあるものです。

しっかし、カレ、名前なんていったっけ???(汗)

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  1. 2006/05/31(水) 23:38:07|
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手帳紛失

先々週から手帳がみつかりません。
出稽古先に置いてきたのだろうと思っていたのですが、先週土曜日に行ってみるとどこにもなく、なくしたと思われる日に立ち寄ったすべての場所に問い合わせてみたのですが結局発見できませんでした。。。

能楽師は仕事をするのにその都度契約書を取り交わすということはなく、いついつ空いてますか?みたいな感じで手帳を見て決めます。
(もっとも僕みたいなヒヨッコの場合は必ず師匠の許可はいただきますが)
会が近くなると、パンフレットや申し合わせなどの通知が郵送されてくるにはくるのですが、そのときまでまたないといけないというのでは困ってしまうわけで。
明日師匠にお尋ねして、代わりの手帳にスケジュールを書き込もうと思います。


さて今日は夕方国立での稽古。
笛だけだったので早く帰れると思い、炊飯器のタイマーをセットして出発。
2番目に稽古室に入り、盤渉序ノ舞を見ていただきました。
吹き始めるとミスに気づきました。
下唇がリップクリームで滑って吹きにくいのです。
笛が安定せず息が絶え絶えでしたが、かなり甘い採点でパスとなりました。

さ、これでおしまいと控え室に向かうと、いつも謡わせていただいている小鼓の先生が、
「頼みがある」
と。
お子さんが今度、「田村」の独鼓(謡と鼓が1対1である部分を演奏する上演形式)を金春流相手でされるそうで、その稽古のために謡ってほしいということでした。
それなら喜んで!ということでお相手を勤めさせてもらいました。
お子さんはまだ小学校低学年くらいで、構えた鼓がすごく大きく見えます。
ちなみに子供用というのはあるそうなのですが、先生曰く音が良くないのだそうで。
僕よりも安定した音をずっと出していて、小っちゃくてもやっぱり鼓の家の子なんだな~と思いながら謡っていました。

その後もう1人研究生相手で謡わせていただきました。
控え室に戻るともう19時半。
夕飯は外で研究生仲間と一緒に食べて帰りました。



家に着くと、おいしそうに炊き上がったご飯が僕を出迎えてくれました。。。



  1. 2006/05/29(月) 23:05:03|
  2. 稽古|
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13回忌

祖母の13回忌に行って来ました。
祖父は入院中のため残念ながら出席できませんでしたが、7回忌以来で三女にあたる叔母夫婦に会いました。

お寺ではまず読経。
ここの住職さん、なかなかお話の上手い方。
1周忌のときに「あの世というのはそれは居心地のいいところらしいですねぇ。だって今までに帰ってきた方はいませんから」なんて話していました。
なるほどそういうものの言い方があるんだなー、と思ったことをよく覚えています。

読経が終わり外に出ると、年老いて足が不自由そうな猫がいました。
猫にはあまり見慣れないグレーと白の毛並みをしていて「なんか妙だな」という感じを受けました。
水を汲んでお墓に向かおうとすると後をゆっくりとついてきます。
こちらが止まれば立ち止まり、動くとまたゆっくり歩いてきます。
お墓は丘の中腹にあり、その猫は階段は上れないのか下にいてそのまま見ていました。
別にどうということもないのですが、なんとなしに不思議な感覚を覚えていて、後で聞くと妹も同じように思っていたそうです。

1周忌のときにもちょっと変わったことがありました。
墓前で祖母の話をしていたところ風は全くないのに急に卒塔婆がカタカタと揺れだしたのです。
偶然位置がずれただけなのかもしれませんが、そんなことも今日のこの感覚に起因しているのかもしれません。


帰りがけ友人から電話が入り夕食を食べに行くことになりました。
行き先はモンゴル料理遊牧民というお店。
以前にも書いたかもしれませんが、彼とは小中高、大学のバイトと実に長い付き合いで、大学あたりから各国料理ツアーというものを開催しています。
今回が、えーと15軒目…くらいかな。
ともかく珍しそうな店があれば行ってみようということにしています。

店内はパオ(だったっけ?)チックな天井で薄暗い感じ。
店主のおばちゃん1人で切り盛りしていました。
まず飲み物からオーダーすると、馬乳酒もモンゴルビールも品切れ。
出端を挫かれた感はありましたが、アルヒというモンゴルウォッカのヨーグルト割りを注文。
あんまりアルコールっぽくなく飲むヨーグルトライトみたいな味でした。

料理は羊の肉を中心としたメニュー。
中でもモンゴルの茶と牛乳で煮たプチギョーザというのは食べたことがない風味。
でもスイスイと食べきってしまいました。

路地1本入ったところにあるこのお店は、下北沢とは思えない静かな雰囲気。
19時に入店し、23時までのーんびりだべってました。




  1. 2006/05/28(日) 23:41:30|
  2. 日常|
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苦い獅子

日付が変わってしまいましたが、薪能2日目でした。
素謡「翁」のみの出演でしたが昨日の比にならないくらい疲れました…。

あいにくの雨で、早々に屋内会場での開催が決定しました。
能は「石橋 群勢が出るため、準備が大変です。
一畳台2つに紅白の牡丹の作り物を立て、山の作り物も作らねばなりません。
そこそこ人数がいたのですが、小1時間かかりました。

18時を過ぎ、「翁」の地謡。
この曲では謡う前と謡い終えた後、扇を横に置いて礼をします。
これはお客さまに向かってではなく、神様に謡を奉納させていただきますという気持ちで行います。
普段礼をして、地頭から「直れ」という声が掛かって元に直るというパターンが多いのですが、今日はそれがなくシテの動きに合わせる方式でした。
変わった点はその程度で特に問題なく終わりました。

問題はその後。
「石橋」は非番なので楽屋働き(平たく言えば裏方)になります。
先ほど作った作り物を出す役を仰せつかっていたのですが、そこで緊急事態が発生。
当初の持っていくはずのものから急に変更になりました。
他にもバタバタすることがあって、気持ちを落ち着けられないまま幕へ。
「お幕」と声を掛けて(こう言うことで幕を揚げてもらいます)出ようとしたとき、
「ドターン!」
一瞬何が起こったのか理解できませんでした。
でもその0.数秒後恐ろしい光景が目の中に飛び込んできました。
幕が倒れているのです。
特設舞台なので、木枠にぶら下げてある簡易幕だったのですが、作り物に高さがあったため引っ掛かってしまったのです。
程なくもとに戻り所定の位置に置こうとしましたが、急遽のことで正確にどこに置いたらよいものかという確信がありません。
能楽堂ならば真ん中にキザハシがあって目印になるのですがそれもありません。
前後に関してはもう少し前ではと思いましたが、わずかに動かした程度でもっとぐっと前に出せなかったのは絶対の自信がなかったからだと思います。
案の定、後見が出直して位置を直すと言う事態に。
急なこととはいえ、一度申し合わせでその場所を見ているはず。
意識が低かったというほかありません。
そのほか中入での着替えももう少し装束の知識があれば役に立てるのにということもありました。

終わったあと師匠に「どうしたの?」ときかれ、つい言い訳がましいことを言ってしまいました。
自分の心の弱さを見たようで、しゃべりながら自己嫌悪に苛まれていました。


今後しばらくこの「石橋」が続きます。
もう悔しい思いはしないように、今日のことはしっかり肝に銘じておきたいと思います。



  1. 2006/05/28(日) 01:42:57|
  2. 舞台|
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俊寛 成経

今日は大宮での薪能。
天気が心配されましたがなんとか最後までもってくれました。

この催し、今年で25回を数えるそうです。
僕も小学生の頃「百万」の子方で出させていただきました。

今回は先日も書いたとおり「俊寛」の成経のお役をいただきました。
開演30分程前に装束を着けました。
黒風折烏帽子を被り、上は赤の入った若松の厚板に緑色の長絹、下は白大口という出で立ちです。
流人にしてはちょっと派手な格好ですが、成経ってちょっとカッコイイ男だったそうで。
母曰く、歌舞伎では若手の二枚目役者がやる役なのだとか。
僕が直面(面を掛けないこと)でやるのは申し訳ないなぁ…。
ちなみに今日はもう一番が観世流だったのですが、そちらでは素襖(っておっしゃてたかな)とずいぶん地味な格好なのだそうで。

18時半をまわり、いよいよ出番。
ここのところ役が続いていますが、何度やっても出る直前、出てからしばらくは猛烈な緊張に襲われます。
気持ちを落ち着けようと努めつつ橋掛りから舞台に入って行くと、薪の煙が目にしみます。
あんまりバチバチまばたきするわけにもいかないので困ったと思いましたが、謡い始めるともう気にはなりませんでした。

申し合わせのときに思ったとおり、しばらく曲を感じる余裕はありませんでしたが、舞台が進むにつれだんだん落ち着いて舞台を見る(って、きょろきょろするわけじゃないけど)ことができてきました。
赦免状を受け取るとき、俊寛はそれまでと打ってかわってずいぶんと興奮しているような感じを受けました。
その後成経に向かい赦免状を読むようにいいます。
このとき二言ほど成経のセリフがあるのですが、それを受けて気持ち申し合わせより高めに謡ってみました。
まだまだ感覚をそのまま表現していくことは難しいと思いますが、少しずつアタックしていかねばなりません。

終盤、赦免状に名前のあった成経と康頼の2人は俊寛を見捨てそそくさと舟に乗る場面があります。
ここはすぱっと立って、スタスタと橋掛りにある舟のほうへ行かねばなりません。
でもそれまで立膝の体勢で30分ほどじっと座っています。
申し合わせのときはぜんぜん問題なかったのですが、緊張のせいかはたまた特設舞台のせいか思ったより足がしびれていました。
始まる前楽屋で「すっ転んだらかっこ悪いな~」なんてプレッシャーをかけられていたのですが、シャレになんないかも…と一瞬ヒヤリとしました。
でもこれも普段の修行の賜物か、エイヤッと気合を入れて(もちろん声にはだしませんよ)立とうとすると上手く右足の指が爪立ってくれました。

舟に乗ってから島に残された俊寛を見て掛け合いの謡。
申し合わせではここで一箇所間違えたので注意して謡いました。
なんとか無事に謡い終え、幕へと入っていきました。

今回無事に役を勤め終えることができましたが、課題が。
康頼が師匠だったこともあったのですが、ちょっと謡がべったりとよりかかりすぎたような。
特に野外ということで声が飛んでしまい、その度合いが上がってしまったような気がします。
もうちょっとしっかりと自分の謡を謡ってもよかったのではないかなという気もしました。


終了後、装束を脱いで胴着(装束の下に着る綿入れ)姿になって片付けをしていると後見をされた先生に声をかけられました。
はじめ「ツレが…」「装束…」としか聞き取れなくて、しまった舞台でなにか失敗したかと思いましたが、
「ツレで装束を着て舞台を勤めた人間が、装束を片付けなくたっていいんだよ。人手が足らないわけじゃないんだし」
と言って下さったのでした。
ボソボソっと話されたので一瞬???と思ってしまったのですが、最後にニコッとされてようやっと飲み込めました。
僕は一番下っ端なので仕事しなくちゃ、と思ってしまうんですが、先生はそんな僕を気遣って下さったのでした。

ちょっとホロリです。



  1. 2006/05/26(金) 23:56:04|
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小督とか安宅とか小鍛冶とか

午前中は師匠の稽古。
「小督」を見ていただきました。
100回舞うぞ!計画を立てていたこの曲ですが、現時点で19回しか舞ってません。
ここんとこ忙しくて…。
これから舞いまくりますっ。


実家で稽古した後、夕方から国立で稽古。
まず小鼓で「安宅」
普通舞囃子でやるときは富樫が酒を持ってきた後の場面からですが、手付けにはサシからあるのでそこから見ていただきました。
この曲は上演時間が結構長いため、居グセ(舞がなく下に居るだけ)の部分は子方が出ることもあって省略されることが多い部分です。
でも省略してしまうのは勿体ないいい謡です。
内容的には、虎口を逃れた一行が主君の悲運を嘆くというもの。
後半部分の詞章は、
 
 げにや思う事叶わねばこそ浮世なれと 知れどもさすがなお
 思い返せば梓弓の 直ぐなる人は苦しみて 讒臣はいやましの世にありて
 遼遠東南の雲を起こし 西北の雪霜に責められ埋まる憂き身を
 理(ことわ)り給うべきなるに ただ世には神も仏もましまさぬかや
 怨めしの浮世や あら怨めしの浮世や


〝ただ世には~〟以降の節やカカリ具合がとっても好き。
地頭で謡うチャンスって生涯に一度くらいないかなぁ。


そのあと太鼓。
出し抜けに先生から、
「君は結婚しているの?」
と聞かれ、独身ですとお答えするとなんだか不思議そうなご様子。
「見た目老けてますけど、実は割と若いんですよ~」
と付け加えると、先生大笑い。
そういや生涯通じて実年齢より若く見られたことってないなー。
一回り上の先輩より年上だと見られたこともあったしー。


控え室に戻ると珍しいビデオがかかっていました。
昭和60年にNHKで放映された金春流の「小鍛冶」
舞台上の皆さんの若いこと!!
師匠も地謡の後列に座っていましたが、間違いなく今の僕より若い。
実力的なものももちろんだったのでしょうが、当時の金春流は本当に人が少なかったそうです。
同時に2箇所で能ができるようになったのはつい最近のことだそうで。
ひどい陰口もあって「金春流は千駄ヶ谷にいるサラリーマンを捕まえてきて前列に座らせている」とか。
その時期から比べると、今は人数的には倍近く増えました。
でも増えただけでは意味がありません。
「やるな金春流!!」
と思ってもらえるように頑張らねばなりません。
そうすることで結果的に能楽界自体がよりよい方向に向っていくチカラになればと思います。



  1. 2006/05/24(水) 22:44:23|
  2. 稽古|
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大失敗

午前中週末にある薪能の申し合わせ。
僕は「俊寛」の成経です。

この曲って本当に大好き!
謡はどこをとってもキレイだし、上演時間1時間程度と短い部類に入りながらもストーリーは非常に劇的。
動き自体はもんのすごく少なくて、シテは橋掛りの出入りを除けば、舞台上で20歩くらいしか歩かないのではないでしょうか。
でも動かない中に心情を表現すると言うか、能の一番得手とするところを遺憾なく発揮できる曲だと思います。
ツレをやりながら「ああ、やっぱいいなぁ」と浸っていましたが、度が過ぎて最後の場面で謡を間違えてしまいました。。。
当日は緊張してそんな余裕はないと思いますが、気を引き締めねばなりません。

もう一曲、僕は非番でしたが「石橋群勢がありました。
ちなみに〝いしばし〟ではなく〝しゃっきょう〟と読みます。
この曲は獅子という勇壮な舞がみどころですが、群勢という小書がつくと獅子が4体出てきて舞台狭しと暴れます。
幕の裏で囃子の手を聞き取ったり、舞を見ていたりしたのですが最後に大失敗。
猛烈なスピードでツレが幕のほうに突っ込んできて、こりゃいかん!1人じゃ幕が揚げらんないしどうしよう??とパニックに。
思わず入れるように片幕を開けたのですが、その瞬間「あ!」と。
ツレは幕の直前で止まり、ちゃんと曲が終わってから入るのです。
よくよく考えれば、謡の最後は〝獅子の座にこそ直りけれ〟だし、それよりも何よりも昨日の研究会で1度見ているはずなのに…。

終わってから、「おいおい~~」という視線が痛いほどに。
でも、これが本番じゃなくて、本当によかったです。。。



  1. 2006/05/23(火) 20:29:43|
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連戦

昨日10時半ごろ帰宅してから2時ごろまで格闘していました。
相手は「芭蕉」の謡本。
今日の宗家ご長男の社中会で能が出たのです。
当初僕は地謡についてなかったのですが、急に1名出られないことが判明(当日病欠などアマチュアの方の発表会ではままあります)。
申し合わせが終わってから「当日謡って」ということになったのです。
とにかく少しでも謡うチャンスがあるほうがありがたいので二つ返事でお受けしたのですが、フタを開けてみるとこの曲地謡どころがめちゃめちゃ多い…。
追い討ちをかけるように、仏教用語が多くてなかなか頭に入りにくいときてます。
もっとも、この曲に限らず流儀の中興の祖と言われる金春禅竹の作品はだいたい覚えにくいのですが。。。

謡った番数はそう多くないものの、いろいろ気を遣うし長時間楽屋にいると疲れます。
そんな僕を見かねて師匠が肩を揉んでくれました。
あ~気持ちいい…っていいのか師匠にそんなことさせて!!!
「僕はマッサージするの好きなんだよー」とニコニコされている師匠。
他の流儀の書生さんをみているととっても大変な思いをされているのに、なんだか罰が当たりそうです。
ご恩は一生掛けてお返ししますから!!



  1. 2006/05/21(日) 23:21:50|
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サークル祭&西荻薪能

昨日ちょこっと予告したお弟子さん方の発表会に行ってきました。

僕は仕舞「融」を1人で地謡。
なかなか地頭をやらせていただくことないので、こういうのはいい機会。
でもお弟子さんの地謡ってすっごく緊張するんです。
だってこっちは駆け出しだろうとなんだろうとプロとして見られるので、何が起ころうと正確にきっちり謡いきらないといけないわけで。
というわけで舞台に出たときには猛烈に緊張していたわけですが、地謡座につくと風が気持ちよくて、なんだか、ほっ。
舞われた方も非常に上手にされていたので無事にいきました。

さてこの会で僕に課せられた仕事はもう1つ。
「高砂」の最後の部分〝千秋楽は~〟の謡と仕舞をいらっしゃった皆さんに体験していただきましょう!という講座の講師。
1時間弱という限られた時間の中で一気にやってしまおうというのですから、我ながら無謀な企画です。

でもこういうのって僕は割と好き。
能の舞台と違ってこうしなきゃ間違い、というのもないし(笑)
(もちろんいい加減なことは教えてませんよ~)
前にもちょっと書きましたが、大勢の人をいかに捌けるか、って言い方はなんか変ですけど、まあそういうニュアンスのものが好きなのです。
やっているうちにテンションが上がってきて楽しくなっちゃうんですよね。

さて、、、
果たして参加された皆さんのほうは楽しんでいただけたものか振りかえってみると???な部分はあるのですが、皆さん笑顔で帰っていただけたようので、今日のところはまぁよしとしましょう。


打ち上げを途中で失礼して、夜の催し先に移動。
薪能だってのにひどい雨。
でも舞台に屋根がついているので雨天決行です(お客さまは濡れてしまうわけですが…)。
しかーし、心配ありません。
金春流には超ウルトラスペシャルスーパー晴れ男がいるのです。
セミプロのおじいさまなのですが、過去にも土砂降りの雨で誰もが野外での舞台を諦めていたところ、その方が見えた途端嘘の様に大快晴に、な~んて伝説を数々残しているのです。
昨日までの予報では台風の影響を受けてどう転んでも雨という予報でしたが、今日も開演2時間ほど前からだんだん雲が切れ始めちょうどかの晴れ男が現れた途端、まるでご来光の如く陽が差し始めました。
いやー、ありがたやありがたや。

こちらの曲目は「猩々」
僕は地謡。
舞台に出ると日中の蒸し暑さから一転、少しひんやりするくらいでした。
そして強い風。
脇正面(舞台に向かって左側)付近に設置されたかがり火からときおり灰が飛んできます。
これが危険です。
野外やホールでの催しのときは音が吸われてしまうので通常よりもつい声を張りがち。
大きな声を出そうとすると必然的に大きく息を吸い込みます。
ここで注意しないと、むせ返りそうになるのを必死でこらえるという地獄のような思いをしなければなりません。
そのあたり気を遣いかつ勢いが衰えることなく謡うよう心がけました。
しっかし、そんなことをモノともせず強い地謡を謡った地頭である師匠。
僕との年齢差は17なのですが、僕は17年後ここまでの地謡を謡えるようになるのでしょうか?

ちょっと裏話。
実は舞台上の誰もが冷や汗をかく緊急事態が起こっていました。
しかしそこは皆さんさすがプロ!(って、えらい他人事のようですが)
何事もなかったかのように舞台を続けました。
たぶんお客さまには全くわからなかったのではないかと思います。

そして最後にもうひとつ。
この催しは今年で5回を数えますが、多くのボランティアのお力によって運営されています。
今日も濡れた舞台や客席を丹念に拭いて下さっていました。
風が吹けば木の葉に乗った水が一斉に落ちそれをまた拭く、という匙を投げたくなるような作業も嫌な顔もされずやって下さいました。

「能は1人では出来ない」
それは舞台内外を含んだ言葉。
舞台に立つ者はみんな、必死に準備してくださったことへの感謝の心を
持っています。
僕は微力な地謡前列の1人でしかありませんが、感謝の気持ちを持って自分の出しうる力はすべて出し切って勤めさせていただいているつもりです。

本当に有り難うございました。
来年もまたどうぞ宜しくお願いいたします。



  1. 2006/05/20(土) 23:13:08|
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源太夫

夜、若手の研究会でした。

「源太夫」「山姥」「杜若」「忠度」の4曲を謡いました。
かんなりヘビーです。。。

ところでこの中の「源太夫」という曲、観能歴の長い方でもご覧になった方はあまり、というかほとんどいらっしゃらないと思います。
現在金春流にのみ伝わる曲で熱田神宮にちなむ脇能(神様が出てきて目出度い系の能)です。
なお江戸時代までは宝生流にも伝わっていたそうですが、現在はないそうです。

とにかく遠い曲なのでお囃子方も暗誦が相当大変らしく、百戦錬磨の方をしても謡本をお守りとして横に置いていたくらいでした。
結果は問題なくいきました。

ちなみにちょっと専門的な話。
このキリ(1曲の最後のあたりのこと)に三ツオクリというものがあります。
普通は1くさりが8拍、トリの間は4拍、片地が6拍、オクリが2拍になっています。
ここまではごくノーマルな間です。
今回出てきた三ツオクリは3拍で終わるという間。
昨日国立に行ったとき囃子方に聞いてみたのですが、他の流儀でも見たことがないそうです。
ついでに書いておくと金春流の「松風」には、四ツ地という9拍になるものが出てきます。


ちょっと宣伝。
明日昼1時半から出稽古先の皆さんの発表会があります。
その中で「高砂」の謡と仕舞の一部をいらっしゃった皆さんに実際に体験していただこう!というコーナーがあります。
講師は僕が勤めます。
もしお時間のある方は麻生市民館2階和室(小田急線新百合ヶ丘下車徒歩3分)までお越し下さい。



  1. 2006/05/20(土) 23:06:39|
  2. 稽古|
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急に地頭

夕方国立へ。

大鼓の稽古で???となってしまいました。
1箇所正しい手を打っているはずなのに嵌らない。
終わって手付けを書き込んだ謡本を見てみると、やっぱり合っている。
ん!手付けの写し間違えか!?
と思って確認してみると、そのとおり。
ビミョーーに違う2種類の手があるのでした。
うーん、むつかしい。。。

さーて今日は1科目だけだし帰るか、と思ったら習っていないほうの流儀の小鼓の先生から、「半蔀」を謡ってくれい、とのこと。
舞囃子どころかなと思ったら、ワキ謡シテ謡含めほぼ全部。
こんな機会は滅多にないので喜んで謡わせていただきました。

これがなかなかに難しいことで。。。
初同(地謡が一番最初に謡うまとまった謡)なんて能の地頭を勤めない限り、1人で囃子入りで謡うことはありません。
この曲は何度か謡ったことがありますが、位や謡い方がさっぱりわかんなくなっちゃいます。
明らかに囃子に引っ張られながら謡っていると「ココはこう謡うねん」とご指導が。
手探りで謡っていきました。

その後は比較的謡いなれたところになったので、少し主張を出しながら謡ってみましたが流されてしまったり、喰らいつききれなかったところがしばしば。
でも間は外さずに謡っていたのですが、クセの最後あれ?と思った瞬間半間外してしまいました。
無念~と思っていたら、今度は普段100回謡って1度たりともおかしくならないようなところにボロが。
こういうのって時間が経つとジワジワと悔しくなってきます…。

アタマではわかっていても地頭として謡うのと、地謡の一員として謡うのだと気の持っていきようが全然違います。
今までなーんも考えないで謡っていたところが、はてどうやってたっけ?という風に。
普段からもっといろいろ気をまわしながら謡わないとと思いしらされました。



  1. 2006/05/18(木) 23:10:28|
  2. 稽古|
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仲間とお酒

2日間更新をサボりました。
理由は、酔っていたからです。。。
お酒弱いもんで、ちょっと飲んじゃうともう更新する余力がなくなっちゃいます。

火曜日は出稽古のあと国立で稽古。
終わってからなんとなくのんびりしていたら、飲みに行きましょう!ということになりました。
三茶まで行き4人で2時間ほど。
笛方・小鼓方・太鼓方とシテ方の僕というメンバーでした。
酒がまわってくるとだんだん能楽談義にも熱がこもってきます。
若いうちは舞台に立てる機会はそう多くはありません。
ならばということで「みんなで稽古会しようか?」という話になりました。
それぞれに解決しないといけない問題もあるようですが、なんとか実現に漕ぎ着けられるしたいものです。


翌日は夜にお出かけ。
同じ研究生の方から「家でご飯でも」とお呼ばれなのです。
この前お見舞いに行ったときに買ったお土産を持ち、デザートを買って伺いました。

最寄の駅まで迎えに来ていただいて、向かった先はレトロなおうち。
路地奥のいわゆる長屋ですが、間取りは広いし花が活けてあったりキレイにされてました。
家賃もこの広さでそんな?という額なんだそうです。

ワインがお好きだそうでいろいろ教えてもらいながら白1本、赤2本を空けてくれました。
ワイングラスって1種類じゃないんですねー。
ボルドー用とかなんとか用とかいろいろあって、同じワインでも違うグラスに入れてしばらく置いておくと味が違ってきたり。
うーん奥が深いですねぇ。

料理はみんな手作り。
アボカドと海老のディップとパン2種類
蕪とトマトのサラダ
海老と蕪のパスタ

どれもおいしいしワインとの相性もぴったり!
いやー、いいお嫁さんになれそうです。
男ですけどね。。。

食後にダージリンティー(これも結構いいモノだそうで)と僕の買ってきたデザート。
「あっ、マカロンかー」
お、さすがよくご存知!
知らないとなんだか安っぽく見えるおそれがあるんですよね、コレ。
よかったよかった。


今週はのんびり過ごしましたが、金曜からは研究会、舞台×2、舞台、研究会、申し合わせと火曜日まで息つく間がありません。
とにかく1つずつ立ち向かっていきますっ。



  1. 2006/05/18(木) 10:42:24|
  2. 考えごと(能楽)|
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今度は署長に

今日は夜に宅稽古があるだけ。
なので祖父のお見舞いに行ってきました。

藤野までどれだけ時間がかかることやら、と思ったら1時間半かからないで着きました(途中相模湖駅で通過待ちに10分もかかったのはちとびっくりしましたが)。
駅を降りてみると遠くへきたな~という感じ。
なぜかまん前にベイスターズショップなるものがありました。
一応神奈川県内ではあるのだけど違和感ありあり。

送迎バスに乗り15分ほどで病院に到着。
この前来たときに母が面会手続きするのを見ていたので、そこまでは無難にいったのですが、いざ病室に行こうとするとエレベーターが動きません。
職員さんに聞いてみると暗号式になっているのだそうで。
よくよく見ると、面会票のところに操作の仕方を書いた紙が置いてありました。
なんだよ~、意味ないじゃん!と一瞬思ったのですが、たぶん徘徊対策なんでしょうね。

病室に着いたのはちょうど12時。
午前中は寝てることが多いのだそうですが、今日は起きていました。
でも起きていたというより、眼を開けていたというほうが正確かもしれません。
僕が視界に入るとすぐに何かしゃべり出しました。
入れ歯が入ってないのでよく聞き取れないことが多いのですが、単語の中に母の名前が出てきたので今日は僕が誰だかわかるのかな?と思ったらそうはいきません。

なにやらですます調でしゃべっていて、単語を拾うと、
「荻窪署」「逮捕」「スパイ」「警視庁」
など。
話をつなげると、祖父がかつて勤めていた警視庁荻窪署のなかにスパイが入り混んでいて、それをなんとかひっ捕らえようとしている。
そして僕は署長らしく、早く手を打つべきだと進言しているようなのです。
副社長の次は警察署長さんか~、エライなぁ僕は(笑)
ちなみに本池上署の署長さんならときどき似てるっていわれるんですけどねぇ。

僕が物心ついたときはもう退職していたので当時の仕事ぶりはわからないのですが、話しているうちときおり興奮した口調になって、
「このままでは警視庁の恥です!」
なんて言ったりしていました。
祖父の性格は、孫の目線なので限定的だとは思いますが、結構僕に隔世遺伝されているような気がします。
子供好きなところとか、マメなところとか(僕の場合オッチョコチョイを併せ持つマメですが…)。
僕にはわかりませんでしたが、母曰く、結構頑固なところもあったらしいし、直情的な部分もあったようです。
その辺、やはり僕も同じ。
友人から「アイツは何考えてだかわかんない」とか「顔にシマリがない」と言われることのほうが多いのですが、「お前は直情型だ」と言われたこともあります。
(いや、これを総合するとただ単に危ないヤツのような気もするのだけど…)

そうそう、今回試しに僕が小さい頃祖父と一緒に映っている写真を持っていってみました。
しばらくじっと見ていましたが、
「コイツは裏にすんでるヤツだ」
と自分を指して言って、パジャマの胸の辺りを探りながら、
「警察手帳にメモがあるから取ってくれ」
だって。
なんだか聞き込み捜査してるみたいでいた(笑)

1時間ほどいて帰ろうとすると、
「僕が車で送りますよ」
なんて言ってくれました。
嬉しいけどそれはちょっと危ないなぁ。
電車で帰るから大丈夫と言うと今度は、
「じゃあ、自転車で」
って、それはいくらなんでも厳しいよー。

帰り隣にある温泉に寄りました。
東尾垂の湯というのだそうです。
平日の昼間とあって人もまばらでゆったり。
当然ながら僕くらいの人はおらず、おじいさんばっかり。
いやー贅沢~♪と浸りながらも、ちょっとお天道様に申し訳ないような気も。
でもこれから忙しくなるから、休めるときはしっかり体を休めておくのも仕事の一環。
そう思ってたっぷり堪能してきましたが、帰りの電車は眠くて眠くてあんまり暗誦がはかどりませんでした。。。


それじゃ、また来るね。



  1. 2006/05/15(月) 23:18:08|
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ひょんなことからクラシック

20060513224904.jpg


今日は出稽古のあとヤマハ管楽器新人演奏会に伺ってきました。
昨日偶然小中学校での同級生の妹さんに会い、彼女の弟さんがこの会に出るそうでよかったらどうぞということでした。

でも別にお姉さんである同級生とはそう親しいということはなく、その妹さんである彼女もまぁ顔は知っているという程度。
ただ大学時代バイトしていた塾の塾長の教え子で、彼女が遊びに来ていたとき2度ほどあって一言二言言葉を交わしたことはありました。
でもって今回演奏会に出る彼女らの弟さんとは全く面識ナシ。
でも意外なことに僕の妹とは知り合い。
同じ中学のブラスバンド部の先輩後輩で、同じトランペット担当だったので一番会話する機会は多かったはずです。

…とまあ長々書いたわりには関係のよくわからない間柄なのですが、せっかくいただいたので拝見しに伺いました。
こういう音楽を聴きに行くのは久しぶり。
高校のとき友達と行ったドヴォルザーク以来。

さてさて今日は金管部門ということで、トランペットのほかチューバ、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム(この楽器の名前、今日初めて知りました)が一人ずつピアノとセッション(っていう言葉でいいのかな?)をしていくという趣向でした。

お目当ての彼は第2部で登場。
あのですね、
ひいき眼なしで、
たぶん
群を抜いてよかったです!
ブラボー!ではないけど拍手に混じって何か叫んでた人がいたくらい。
トランペットが彼一人だったので、余計に高音が冴えて聴こえたということもありましょうが、会場の雰囲気が一気に華やいだ感じ。
なんというのか空気が軽くなったというか。
それでもお姉さん(切符をくれた同級生の妹さん…あぁややこし)曰く、まだまだなのだそうですが(うちもそうだけど家族は辛口です)。

どうしてもどこか能のこと考えながら観ちゃってました。
作法はどうなのかとか、間の取り方はどうなのかとか、はたまた育成システムはどうなっているのかとか。

ひとつ気になったことが(以下ちとエラそうですが…)。
ブレスの音がやや耳障りになったのが何回かあったこと。
能だと音のない瞬間というのがとても大事。
もちろんよい音や声を出すのはとっても大事なのだけど、その間でがさがさ音を出してしまうと元も子もなくなってしまいます。
西洋楽器奏者の場合、鼻から空気を吸ってその間に口に溜めておいた息を吹き出すことにより途切れることなく音を出し続ける循環呼吸法というのがあるのだとか。
ただそれはフルートとかの話でこういうパワーが要りそうな楽器だと理論的に無理なのかもしれませんけど。
ちなみに能管でも可能だそうで、ただ1人使い手がいるとのこと(でも試しに吹いたノンブレス楽を聞いた方は、あまりに耳慣れず「………」だったとか…)。

と、いろいろ感じながら楽しく聴かせていただきました。
ちなみに彼はその実力を認められ間もなく海外に留学するのだとか。
すごいなー、僕も頑張んないとっ。



  1. 2006/05/13(土) 23:55:26|
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パワー不足?

事務所でちょっと用事を済ませ、夕方国立へ。
少し疲れているのか、遠くの物を見ようとしてもなんだか焦点が合いません。
なので途中、電車で少しウトウト。
5分ほどぐっすり眠ったものの改善なし。
どこか体の具合が悪いのかなと心配しましたが、結論、
「肉食べてないからだ」
朝はシリアル、昼は本当に野菜だけの野菜炒め弁当。
ヘルシーだけど体もちませんわな。。。

今日は笛のお稽古でした。
「久しぶりにお調べしてみようか」
と先生。
お調べとは楽器の調子を調べる作法で、笛だけでなく楽器すべてにあります。
平たく言えば試し吹き・試し打ちですが、決まった旋律・打ち方があります。
最近ははしょって何度かピーピー吹くだけでお稽古に入ってました。
えーと途中どうだったけなとか考えながら吹き始めると全然音が出ません。
やっぱり肉食ってないせいか??と思いつつお調べ終了。

盤渉楽は5回目。
最初2回は唱歌で、そこから少しづつ実際に吹いていきました。
指がややこしいし長いので毎回一段ずつやっていましたが、今日はざっと最後までさらってきてみました。
途中音は出なくなりかけるし、指先はだんだん冷たくなり息も絶え絶え、怪しいところも多々ありましたが、
「よく覚えた!がんばったね!」
と先生に褒めていただきました。
シテ方で実際に吹いている人ってあんまりいないせいか、採点はかなり甘め。
でもそういっていただけると「次も頑張んなくちゃ」と思えてきます。

「盤渉楽は大変だったから今度は楽なのにしよう。次は盤渉序ノ舞、唱歌からやろう」
と先生。
…と言われましても「羽衣替ノ型で数度しか聞いたことがなくメロディーが全然浮かんできません。
次のお稽古は中3日の火曜日。
ひえー、大変(汗)



  1. 2006/05/12(金) 21:05:50|
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能楽師への道④ ~子方時代~

「桜川」のあと、いろいろな子方を勤めさせていただきました。
僕と歳の近い能楽師の子供は何人かいたのですが、子供は子方として舞台に立てる時間は短く、歳が2つでも違えばもう世代がかわってしまうということもあります。

勤めた曲は、以降「草紙洗小町」「百万」「舟弁慶」「安宅」「昭君」で都合6曲。
そのうち「舟弁慶」は4回勤めたのでのべ回数としては9回ということになります。

不思議なことにどれも断片的に記憶は残っています。
たとえば「昭君」のとき。
子方は王昭君の役なのですが夏休み明けでしっかり日焼けしてしまっていました。
いくら子方とはいえ、絶世の美女がこれじゃ…ということで、始まる直前に国立の近くにある床屋さんでおしろいを塗ってもらって舞台に出ました。
鬘を結って唐織を着て鏡の前に立つと、「あ、わりとカワイイかも」と思ったり。
橋掛りを歩いていくとそばに座っていたお客さんが「あのこ男の子かな女の子かな?」なんて言っているのも聞こえました。
でもあとあとになって写真を見てみると、どっからどうみても確実に男の子で間違いありませんでした。。。

「安宅」もよく覚えています。
このときは家元がシテをされ稽古もよくみていただきました。
金剛杖を突いて歩くのがなかなかうまくいかず、棒切れを持ってはよくそんな真似をしていました。
後半のハイライトシーンとして弁慶が義経から金剛杖を奪い取って散々に打ち据えるという有名な場面があります。
お稽古のとき先生が「形だけだからね」と仰っていたのですが、本番になるとカツカツ当たってしまい、目深に被った笠を押さえながら「先生当たってますーっ」と焦っていました。

そんなこんなで、1年生から4年生まであっと言う間の子方時代でした。



  1. 2006/05/11(木) 23:14:50|
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「吉野静」

昨日申し合わせがあった「吉野静」の本番でした。
以前に研究会で舞ったときにも書きましたが、シテは静御前、ワキは佐藤忠信と歴史上比較的有名なキャラクターが登場するわりに遠い(上演頻度頻度が少ない)曲です。

遠い理由は節回しがちょっと妙なのと、舞が窮屈だからというのが理由かと思っていましたが、謡は謡い込んでみるとそれほど違和感を感じませんし、舞も実際舞ってみるとなかなか面白いところもあります。
ではなぜか?
能としてみてみると一つの要因が見えてきました。

それは装束。
シテは前半が終ると一度幕に入り、後半の装束を着替えて出てくるのですがこの時間が短い。
今日は10分弱ありましたが、過去6分ということもあったそうです。
唐織着流しから長絹大口姿(今日は前半が壷折腰巻姿だったので脱ぐのにもう一手間掛かったはずです)に短時間で変えねばなりません。
長絹大口はそんなに着付ける手間は掛かりませんがそれでも短時間で着付けるのは後見にとってはプレッシャーです。

この曲はワキも着替えます。
ワキはさらに短く5分ありませんでした。
特にこのワキは舞台に入るのが遅れてしまうと物語が展開しなくなってしまうので大プレッシャーです。
ワキ方の楽屋働きは普段1人なのですが今日は2人入っていたのもうなずけます。
シテもそのあたりを酌んで、中入の際ゆーっくりと橋掛りを歩いていきましたが(ワキが先に中入しています)それでも時間は終わったあとのワキ方のお話だと時間はギリギリだったそうです。
(ちなみに中入せずに後見座に居るという演出もあるそうです)

結局上演時間は80分。
ストーリーのボリュームから考えると意外に長くかかったな、という感じでしたがご覧になった方はどう感じられたのでしょうか??



  1. 2006/05/10(水) 21:37:17|
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オッチョコチョイな日

午前中先生のお稽古に伺ってから国立で申し合わせ。
時間にゆとりがあったので赤坂から30分ほどかけて歩いていきました。

だいぶ早く着きました。
さすがに誰もいなかったので食堂でのんびり昼ご飯を食べていました。
楽屋に戻って開始15分前になっても誰も来ません。
おかしいな?と思って職員さんに聞いてみると「申し合わせ、1時からです」とのこと。
ありゃりゃ。
でも勘違いも前で幸いでした。
以前1時間あとだと思い込んでいてエライことになったことがありました。。。

暇だったので2階でいろいろ調べ物をしたり、控え室にたまたまいた方といろいろとお話してました。
不幸中の幸い、以前から気になっていたいろいろなことをお聞きすることができました。

30分前に楽屋に帰ると、今度はちゃんと(って言い方はおかしいですね)皆さん見え始めていました。
今日は「吉野静」です。
あまり出ない曲ですが、先日舞囃子の地謡を謡う機会があったのであと少し覚えるだけ…のはずでした。
始まる直前「二ノ同の〝御ぱからいぞ~〟は…」という話が。

はっ!
しまった、そういえばそんな謡があったっけ!

この曲、能の地謡は初めて。
二ノ同は意外なところにヒョコッとある謡で、最初全部読み通したときに「ああこんなところにあるな」と思っていたのですが、その後存在をすっかり忘れていました。
幸い量も少なく、つながりのある覚えやすい謡なので(今日は危なかったけど…)本番はちゃんと謡えると思います。

いろいろうっかりな日でした。



  1. 2006/05/09(火) 23:09:02|
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「氷室」終了

昨日は「氷室」の当日でした。

僕は楽屋ではぜーんぜん緊張しないのですが、幕の前に立つと急激に緊張が始まります。
今回は動悸が激しくなるとかいうことはなかったのですが、梅雨のように蒸し暑い天気もあってか、舞台上で異常なほど汗をかいてしまいました。
前ツレは直面(ひためん:能面を掛けないこと)なので、汗が目に入ると大変です。

前半が終わり中入。
男の姿から天女に前とっかえです。
時間がない!と急いで脱ごうとしていると、
「慌てるな。急いでいるときほど慌てるな」
と師匠のお父様。
装束は師匠に着けていただきました。
舞衣(まいぎぬ)という着けるのに骨が折れるものでしたが、あっという間に完了しました。
鏡の間(幕のすぐ裏にある部屋)に行くと、まだ間狂言は半分ほど。
「我ながらカンペキだな!」
と師匠がおっしゃられるほど見事なスピードでした。

後半は天女ノ舞。
一度しっかり緊張してしまったせいか、リラックスして舞えましたが、荒いところもでてしまいました。
特に袖扱い。
能では装束を着て舞うのは本番一発勝負なのです。
袖が掛からないといけないという意識からどうしても動作が強くなりがちです。
こういう点はいかに場数を踏むかということしかないんでしょうねー。

終わってから
「よくなったところもあったけど悪くなったところもあったねぇ」
と師匠。
大きな事故なく終えることができたことはよかったのですが、もう一歩上を目指したい。
「小督」の舞囃子のときには(曲調は全然違いますが)これを活かした舞台に出来るよう稽古に励んでいこうと思います。



  1. 2006/05/08(月) 21:33:48|
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「氷室」申し合わせ

昨日は申し合わせ(リハーサル)。
「氷室」のツレを勤めました。

結果としてはさんざん。
舞台に出る前から小さな動揺、出てすぐの動揺を引きずってしまい、途中今まで間違えたことがないところで絶句。
今回はかなり謡い込んできたつもりなのでショックでした。

このツレ、初同以降はセリフがないのでずーっとなんでこうなってしまったのか考えていました。
いろいろ考えた結果、考えすぎではという結論に達しました。

ツレというのは基本的にシテの引き立て役。
特に「氷室」のような曲では、極端に言えばいなくても成り立ちます。
シテを引き立てよう、シテが目指す舞台の歯車になろうという気持ちが強すぎました。
「僕はまだそこまで余裕を持てるレベルではない」
そういうことなのです。
もっと自分自身のことで目一杯になっていいんじゃないかと思うのです。
そうすることでもっと舞台に集中できる、そう思います。

後半、天女ノ舞は吹っ切れて楽しく舞っていました。
終わった後師匠から注意をいただきましたが、「全体的にはよく舞っている」といっていただけました。

帰りがけ先輩方にもいろいろアドヴァイスしていただきました。
今日はわりと上手く流れに乗れたと思っていましたが、自分自身気をつけているつもりだった点が、やっぱりよくない、とご指摘をうけました。
こういっていただけるのは本当に有り難いことです。
自分で手応えを感じたときに「まだまだ」と言っていただけるのは、もう一つ高いレベルに到達するための道を作っていただいたようなものです。
そしてプロとして、せっかく言っていただいたことを本番で生かせないのは裏切り行為です。

今日は狂ったように天女ノ舞ばかり舞っていました。
この舞は極々基本的な舞です。
正直寝ぼけていたって舞うには舞えます。
でもそれだけに却って、当然の如く美しく舞わなければいけません。
昨日の指摘をかみ締めながら一回一回いとおしい想いで舞ってみました。

世界を創りたい。
ご覧なるお客さまにこれが天女なんだと思わせたい。

所詮錬金術かもしれない。
そうでないとしても僕の今の力では到底無理な話かもしれない。
でもまだ若手だから…と卑屈になることはお客さまに対してこの上ない失礼になります。
駆け出しであってもプロ意識は持っていたい。

全身全霊を振り絞って日曜日の舞台を勤めたいと思います。



  1. 2006/05/05(金) 20:18:52|
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過祝杯

今日はヴァンフォーレ戦。
せっかくだし小瀬まで行こう!と思っていたのですが、1週間前の時点でアウェイ側自由席が完売(今日は小瀬の入場者数新記録だったそうです)。
なのでバイト&大学の先輩と恵比寿のスポーツバー、フットニックで観戦。

30分前オープンのところを1時間前に到着してしまい、とりあえず近くのフレッシュネスバーガーでオニオンリングをつまみながら一杯。
こんなに陽が高いのに贅沢(でもビールの味はイマイチ…)。

今日はみんな甲府に行っちゃったのか、店内はわりとゆったり。
ここでもビールを一杯(今度はエビスの生)。

さて14時をまわりキックオフ。
スタンドはアウェイとは思えないほどサポーターが詰め掛けていて、両チームカラーが青赤なのでどっちがホームだかわからないくらい。
試合は前半立ち上がりから怒涛の攻撃を仕掛けるものの、相手GKの好セーブにも阻まれなかなかゴールを割ることができません。
勢いが衰えかけたころ流れるようなパスワークから失点。
甲府盆地の暑さとこの直射日光の厳しさを考えると、最初の有利な時間帯に点を取れなかったのは痛かったか…とイヤな感じがよぎりましたがこれは全くの杞憂。
後半に入り、代わったリチェーリの絶妙クロスに合わせたノブオのごっつあんゴールでまず同点。
その後ルーカスの2ゴールで3対1の快勝。
これで上位をうかがえる暫定8位浮上!

ここのところいい試合!と思っても次にはハシにもボウにも掛からないような内容になることが多かったけど、ここ数戦は内容結果とも上々。
ガーロの掲げるポゼンッションサッカーとともに、サイドをガリガリ削ってバシバシクロスを入れる東京らしいサッカーも戻ってきたし。
ノブオもかなりチームにフィットしてきたし!
ルーキー小澤もかなり使えそうだし。
収穫の多い試合でした!!

終わって祝杯!ということになったのですが、16時だと空いている居酒屋もなくとりあえず渋谷まで歩くことに。
先輩に連れられ、バイト時代足しげく通った経堂の〝らあめん英〟の姉妹店〝渋三らあめん〟で歩いた分のカロリー補給。
(途中この近所にお住まいの先輩に遭遇。あんな時間から酔っ払っててスイマセン)
豚煮込みと焼餃子も頼み、更に先輩が勝手に日本酒もオーダーし、もちろんラーメンもしっかり食べてきました。

もうこの時点でかなりお腹はいっぱいでしたが「牡蠣食うぞ!」と先輩のわけのわからない気合に乗せられ、その後天狗で牡蠣シバリ(牡蠣だけ食べるということ)。
まず10個注文したところ「小さかったのでサービスです」とのことで16個きました。
やや怯みましたが完食!
ここまで来るともう完全に勢いだけで「次はフライいきましょう!」となり注文。
2人で都合26個。
オーダーとる店員さんも呆れて苦笑いしてました…。

弱いくせに5杯酒をあおり、カロリーも相当にオーバー。
ま、たまにはいっか。



  1. 2006/05/03(水) 23:36:52|
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今日のお仕事

昨日師匠から「小学校1年生くらいの子が着られる着物持ってない?」と聞かれ、午前中実家で探していました。
あったー!
僕が七五三で着た紺の紋付。
ただでさえちっちゃいのに、袖丈も着丈もかなり上げがしてあります。

カバンにつめて家を出るとバケツをひっくり返したような雨です。
めげずに出かけ出稽古へ。
昼過ぎまで代稽古をしたあと国立へ。
中旬にある宗家ご長男社中の発表会申し合わせのためです。
舞囃子「吉野静」「小督」の地謡を勤めました。

それが終わると2階で囃子の稽古。
小鼓、大鼓、笛の順で受けました。
結論としてですね…、1日に3科目はやっぱり厳しいです!

結構稽古していったつもりが思わぬところで、あら?っとなります。
特に小鼓は、大鼓のアシライが大倉流(こちらの先生は大鼓小鼓大倉流両方の宗家)。
僕は高安流しかわからないので、ときどき、ん!?となってしまいます。
もっと勉強しないと…。

その後1階に戻り、仕舞の地謡を2番。
終わったのは会場借用時間ギリギリ、19時59分でした。



  1. 2006/05/02(火) 22:18:06|
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能楽師への道③ ~初めての子方~

またまた大きく間があいてしまいました…。

さて前回は仕舞での初舞台を果たしました。
今回は能デビューです。
(いつも気になるんですが〝初舞台〟というのは文字通り初めて舞台に立ったときなのか、有料の会のときなのか、どちらなんでしょう??後者だとすれば今回が初舞台ということになります)

記録を見ると1985年4月21日となっていて、僕は小学校に上がったばかりの6歳です。
場所は国立能楽堂で、曲目は「桜川」でした。

この曲の子方は最初のほうに出てきて、立膝でちょこんと座っていて最後のほうになったら帰るだけ。
セリフもありません。

割とその当時のことは鮮明に覚えています。
稽古のとき、初子方ということもあってかなりお稽古をしていただいたのですが、歩くときに目がキョロキョロしたり口がもごもごしたり、そのあたりを結構注意されたりした記憶があります。
謡がなく、歩くだけという動作にだんだん飽きてきて、行進のように手を振って歩いて先生を呆れさせてしまったこともありました。

さて当日。
申し合わせのときは足が痛くって座っている間7回足を組み替えましたのですが、当日は我慢して3回に減らし、我ながらよく頑張ったナァとちょっと誇らしげに思っていました。
大きな事故もなくおとなしく座っていたと思うのですが、気持ちはそこにあらず。
ちょうど目の前に祖母に似た人が座っていて、「おばあちゃん来るっていってなかったはずだけどなー」と考えていたり、時計をちらちらみては「まだまだだー」とか思っていました。
国立の時計は中正面の後ろあたりにあったはずなので、かなり首を動かしていたことになります。

子供にとって約1時間じっとしているのは拷問に近いものらしく、泣き出してしまったり眠ってしまったりということがままあるようです。
そう考えてみると、落ち着きはなかったもののちゃんと座ってちゃんと帰った僕は我ながら優秀!(自分で言ってりゃ世話ないです)

というわけで僕の子方時代が始まります。



  1. 2006/05/01(月) 21:14:29|
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