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駆け出し能楽師の奮闘記
敷居が高いと思われがちな能楽の世界を、能とは関係のない家から飛び込んだ私・中村昌弘の奮闘を通じて少しでも身近に感じていただけたらと思います。

能楽師への道④ ~子方時代~

「桜川」のあと、いろいろな子方を勤めさせていただきました。
僕と歳の近い能楽師の子供は何人かいたのですが、子供は子方として舞台に立てる時間は短く、歳が2つでも違えばもう世代がかわってしまうということもあります。

勤めた曲は、以降「草紙洗小町」「百万」「舟弁慶」「安宅」「昭君」で都合6曲。
そのうち「舟弁慶」は4回勤めたのでのべ回数としては9回ということになります。

不思議なことにどれも断片的に記憶は残っています。
たとえば「昭君」のとき。
子方は王昭君の役なのですが夏休み明けでしっかり日焼けしてしまっていました。
いくら子方とはいえ、絶世の美女がこれじゃ…ということで、始まる直前に国立の近くにある床屋さんでおしろいを塗ってもらって舞台に出ました。
鬘を結って唐織を着て鏡の前に立つと、「あ、わりとカワイイかも」と思ったり。
橋掛りを歩いていくとそばに座っていたお客さんが「あのこ男の子かな女の子かな?」なんて言っているのも聞こえました。
でもあとあとになって写真を見てみると、どっからどうみても確実に男の子で間違いありませんでした。。。

「安宅」もよく覚えています。
このときは家元がシテをされ稽古もよくみていただきました。
金剛杖を突いて歩くのがなかなかうまくいかず、棒切れを持ってはよくそんな真似をしていました。
後半のハイライトシーンとして弁慶が義経から金剛杖を奪い取って散々に打ち据えるという有名な場面があります。
お稽古のとき先生が「形だけだからね」と仰っていたのですが、本番になるとカツカツ当たってしまい、目深に被った笠を押さえながら「先生当たってますーっ」と焦っていました。

そんなこんなで、1年生から4年生まであっと言う間の子方時代でした。

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  1. 2006/05/11(木) 23:14:50|
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