お弟子さんのお稽古用中ノ舞テープ作りのためです。
「舟弁慶」なら僕のMDライブラリーにいくつかあるだろうと思いきや、意外にも全部森田流。
そのほか調べてみたのですが一噌流大小中ノ舞がほとんどありません。
あった!と思ったら「敦盛」とか「生田」だったり。
さすがに修羅物の中ノ舞だと位が速すぎ。
「班女」ならどうだ!と思ったら今度は重すぎ。
それなら「雲雀山」で!と思ったのですが残念ながらMDなし…。
いろいろ探した結果ちょうどぴったりなものを発見。
でもちょっと特殊なものなので曲名はナイショです。
テープに落としてご飯をちゃちゃっと食べて出稽古へ。
15時稽古場を出て今度は国立へ。
年内最後の講義だったのですが、出席者は2人だけ。
ちょっと淋しい…。
今日は金春流の遠祖とされる秦河勝(はだのかわかつ)のことがでてきたりしました。
能楽史なのですが当然周辺の文化史をさらうことにもなります。
無窓疎石とか春屋妙葩なんて大学入試以来出会う単語にちょっと懐かしくなっちゃいました。
(ちなみに春屋妙葩は〝しゅんおくみょうは〟って書いて変換すると一発で出ます。すげー!)
室町時代って歴史の授業でもなんとなく影のような部分で印象の薄い部分でした。
尊氏が幕府つくって、義詮っていう読みにくい人が継いで、義満が日本国王名乗って絶頂を極め、8代義政は銀閣建てて政治サボってたら応仁の乱が起きちゃって、15代義昭で滅亡(この前の大河ドラマのせいで義昭のイメージがすっかり三谷幸喜になっちゃって困る)…ってそんな感じ。
戦国時代になると華々しいけど、それまでは将軍が暗殺されちゃったりなんだか暗い感じがするだけで具体的な知識はほとんど持っていませんでした。
でも今日初めて知ったんですが、義満ってば長男義持を将軍に、次男義嗣を天皇の養子にしてたんですね~。
つまりは自分が将軍&天皇の両パパになっちゃおう!というどえらい野望を持っていたわけです。
結局義満が急逝してしまって義嗣を天皇にという話はご破算になっちゃったそうですが。
ちなみにこの兄弟、兄貴は父に冷たくされていたため父の死後金閣以外の北山の建造物は悉く移築・破壊しちゃったり、父の好んだ猿楽よりも田楽を好んだりといろいろ物事を改めたそうで(この辺、新井白石と吉宗なんかもそうだったような。歴史は繰り返す…)。
一方弟くんは父に溺愛されてたそうですが、兄弟仲はよかったのだとか。
それを見て世阿弥は「難波」を作り仁徳天皇が兄弟で皇位を譲り合ったことを引き合いに出しその兄弟愛を称えたのだそうです。
しかし平和なときは続かず、やがてクーデターが起こり弟はその大将に祭り上げられてしまいます。
結果義嗣は享年25にして若い命を散らせてしまいました…。
…と今日習ったと思ったのですが、いろいろ調べていたら最初っから兄弟仲は悪かったようで。
どうも僕の頭のなかで勝手にドラマチックな筋書きに仕立て上げちゃったみたいです…。
そりゃそうですよねー、異母兄弟で一方が贔屓されてりゃ快く思わないのが普通ですわな。
そうなると世阿弥が「難波」を作った意図は???
義満への恩から仲を取り持とうとしたのか?
それとも自分を遠ざけようとする義持に対してのあてつけなのか?
う~ん。
実は「弓八幡」も作るにあたって政治的に何らかの意図があったのだとかないのだとか。
こういったところは現代で舞おうとする側からみれば考える必要のないもの、いやむしろ考えるべきでないものかもしれませんが、人物史とか芸術史という観点からは非常に面白そう。
こういうのを本気で調べようとすると古文書なんか読めないといけないんだろーなぁ。
といっても変体仮名読めないし…。
時間ができたらとりあえず室町政治史を小説やらアクセスしやすいところからあたってみようと思います。
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