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駆け出し能楽師の奮闘記
敷居が高いと思われがちな能楽の世界を、能とは関係のない家から飛び込んだ私・中村昌弘の奮闘を通じて少しでも身近に感じていただけたらと思います。

初会

今日は今年最初の例会(定期公演)でした。
国立の舞台は先月の囃子科協議会以来実に1ヶ月ぶりです。

お役は「高砂」「熊野」の地謡。
あわせて3時間近く正座することになります。
人数の少ない金春流では2番謡うことも珍しいことではないのですが、久しぶりに座るとなるとちょっと怖いものです。
木曜の申し合わせのときもだいぶ痛かったし…。

まず「高砂」。
今年はこの曲の当たり年で、この後2月の定例能、4月の宗家継承能と上半期だけで3回あります。
謡いなれた曲ですが何度謡っても脇能中の脇能、とにかく目出度い曲です。

狂言を挟んで「熊野」。
こちらもメジャーな曲ですが、最近出ておらず2年ぶりでした。
この間に昼食をと思っていたのですが、装束や道具の片付けやらをやっているうちにもう出番に。
食堂は15時までなのですが、おじちゃんに無理を言って「熊野」が終わるまで待っていただきました(ありがとうございました~♪)。

さてさて。
この「熊野」という曲、「松風」と並び、〝熊野松風米の飯〟などという言葉があるほどメジャーで何度観ても飽きない曲です。
三番目物でありながらストーリー性のある現在能で、都の春の景色が美しく謡われています。
でも地謡は量が多くて大変です。。。

この曲の聴き所のひとつに〝文ノ段〟という、遠江に住む母親が熊野に自分の身が危ういのではやく帰ってきておくれ、と宛てた手紙を読む場面があります。
今回はシテとワキが同吟(一緒に謡うこと)していました。
謡本上は確かに同吟になっているのですが、大抵の場合ワキのセリフが「そんなもん見るまでもないからお前さんそこで読んでみぃ」といった感じに変わりシテの独吟になることが多いのです。
ワキ方にはワキ方の謡い方があって合わせるのは至難の業なのです。
特に今回のワキ方は福王流で、もともと観世流の座付だったということもあり、金春流の謡と合わせるのは相当骨が折れたのではないかと思います。

この曲のストーリーは、
手紙を読んで一刻も早く帰りたいと主君平宗盛(ワキ)に申し出るものの許されず、ともに花見に行くことになります。都はまさに春まっ盛りでしたが、熊野の心は母の身を案じる思いで一杯です。それでも宗盛は構わず舞を舞えなどという始末。舞っているうち俄か雨が降り桜の花びらが散るのを見て熊野は一首歌を詠みます。
〝いかにせん 都の春も惜しけれど 馴れし東の 花や散るらん〟
これを見た宗盛はさすがに哀れだと思い熊野の帰郷を許したのでした。
といったところ。

平宗盛といえば平家物語でも凡将として描かれていますが、能でもそれは同じ。
他の平家武者は知盛、重盛、忠度といった弟たちはもちろん、知章(知盛の子)なんて曲の中で「平家の誰かみたいだけど聞いたことねえや」などと僧に言われてしまう武将ですら活躍した場面を描いてもらっているのに、宗盛さんてばひどいもんです。
ストーリーをざっと書いただけでも充分ひどい奴なのですが、帰っていいよと言われた後でも
〝かくて都にお供せば、またもや御意の変わるべき、ただこのままにお暇と…〟
暇を出してもこの言われよう。
ちょっと同情すら感じちゃいます。。。


この2曲を謡ってお昼にありつけたのは16時。
案の定、足が痛いです~。。。

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  1. 2007/01/21(日) 23:12:38|
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