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駆け出し能楽師の奮闘記
敷居が高いと思われがちな能楽の世界を、能とは関係のない家から飛び込んだ私・中村昌弘の奮闘を通じて少しでも身近に感じていただけたらと思います。

春期講習終了

火曜日から続いた春期講習が無事終了しました。
いやー、よく頑張りました!
始まる前クセの上羽前だったのが一気に終わりまでいきました。
あとは舞い込み、謡い込みあるのみです。

彼の一番直さなくてはならない点は下を向く癖。
どれだけ上手く出来ても下を向いているだけで、ガクンと悪く見えてしまいます。
僕も小学生の頃背が高かったのでよくわかるのですが、友達としゃべろうとするとどうしてもかがんでしゃべる格好になります。
それが固まってしまって姿勢が悪くなってしまうのです。
今後この点を徹底的に直していかないといけません。
でもこれは本人の自覚がないとどうにもならないわけで。
う~むどうしたらよいものでしょうか???

この講習という名の特訓稽古の間、ずーっと彼のおじいちゃんおばあちゃんにご馳走になってしまいました。
鰻、寿司、天丼、そして最後の今日は焼肉。
普段の僕ならひと月に一品ずつですよ~。
これなら普通にお月謝いただいたほうがご迷惑掛けずに済んだかも。
なんだかかえって申し訳ないです…。
全部彼が「あれ食べたい!」希望してくれたおかげでゼイタクさせていただきました。
ありがとー!
今日は焼肉をいただきながらビール大ジョッキ、冷酒2合も。
おじいちゃんはお酒好きなようで。
僕もせっかくですのでお付き合いさせていただきましたが、帰りの電車で案の定乗り過ごしてしまいました。。。

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  1. 2007/03/31(土) 22:33:29|
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芸術家気質

今日は仕事が思っていたより早く片付き夕方に帰宅できました。
せっかく早く帰れたのでお料理。
前の部屋のIHは煮物をする分には問題ないのですが、炒め物をしようとするとすぐに安全装置が作動してしまい出来がイマイチでした。
でも新しい部屋はガスコンロ。
やっぱガスの火力はすごい!
今日初めてフランベやりました。
でも、白ワインとかでじゃなくてみりんで。。。

話は全然変わりますが、妹が就職活動をやっています。
とある企業のエントリーシートで、写真添付の欄に「最高の笑顔の写真を貼って下さい」というちょっと変わったものがありました。
サイズも小さい証明写真ではなくスナップが貼れる程度のスペースがありました。
「この際気合入れたのが撮りたいから手伝って」と言われたのですが、残念ながら僕はカメラはほとんど触りません。
バイト時代の先輩で趣味でやっている人がいるので先日僕も同行して撮影しに行ってきました。
妹は何を考えているのか、最高の笑顔の写真というよりいかにウケをとるかに走り、先輩が冗談で言ったことを悉く実行していきます。
ゴミネットの中に入ったり、道端で寝転んだり…。
でもひとつ収穫がありました。
妹は赤い三角コーンをかぶるとなかなか似合う!
…彼女の人生になんの役に立つかは知りませんが。
ちなみに、エントリーシートに貼ったのは電柱に無理矢理しがみついて引きつった笑いを浮かべているものにしたそうです。

が、そんなふざけたものが通ってしまったそうで。
どうもその企業はエントリーシートで9割くらいがふるいに掛けられてしまうそうで(かなり有名な企業です)、ものすごーく狭き門だったそうです。

喜ぶ妹。
この前シート裏面の記載事項を見せてもらったところ、
………。
僕はほっとんど就職活動やらなかったのでよくわかりませんけど、あーいうものに落書きなんかいれていいんですか???
う○ことか…。
(僕の経験から言って、絵を描く人には妙にう○こ好きな人が多いような気がするんですけど。僕の中学の同級生で今やちょっと名の知れたイラストレーターになった人がいますが、彼女も中学時代からえらく凝っていました。あの形状になにか訴えかけるものがあるんでしょうか…?)
でもまぁ実際通っちゃったわけですから、よかったんでしょうね。
比較的全うな道を歩んできた(とはいえないか)僕にはどうも理解しきれない部分がありますが。


僕が能楽、妹が絵をやっているもんで、稀に「芸術一家なの?」と言われたりします。
少なくとも僕はそんな気はほとんどありません。
今はとにかく謡の暗誦に励み、型をキッチリ舞うことが第一なので、芸術的な表現とはなんだ~!?なんていう感じではないのが正直なところです。
ま、正確には全くゼロではないんですが、またそのあたりはおいおい。

ある友人からは「お前は全然芸術家らしくない」と言われます。
大きく破綻している部分がなくて平均的だ、というのが理由らしいのですが、けなされてるんだか褒められてんだか。
でも破綻してないと芸術家じゃないのかなぁ?
確かに岡本太郎なんかぱっと見に、ちょっと違うヒトって感じはしましたけど。。。
そういう風にみれば妹のほうはかなり芸術家気質かもしれません。
いずれ、アイツが売れっ子になったらおいしいものでも食べさせてもらお。



  1. 2007/03/30(金) 23:13:44|
  2. 日常|
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声の出にくい原因は

朝から出稽古、装束出し、諸々作業。
で、夜は申し合わせ。
急激に暖かく、というか暑くなったせいもあってか、始まる前から疲れ気味です…。

さて曲は「兼平」「百万」
どっちも大変です。
久しぶりに胃がキリキリ傷むような思いで、必死に記憶をたどりながら謡うことになってしまいました。

「兼平」は前から結構謡い込んできたので思いっきり謡ったのですが、終わってから「前列は謡が粗い」とご指摘が。
すみません、その大部分僕のせいです…。
当日は頑張り過ぎないようにがんばります。

声がまだ本調子に戻らず、普段謡う量を抑えている状態。
大声出してガリガリ謡ったほうが絶対頭に入るのですが、それができずもどかしさを味わっています。
師匠曰く30過ぎたあたりで声が出にくくなる時期が来るそうなのですが、ちょっと早めのそれかもしれません。
今までの稽古量が多かったから…、ならいいんですが、単にスタジアムのゴール裏で大声上げすぎたせいのような。。。


帰り、ご宗家にタイ料理店でご馳走になっちゃいました。
(ごちそうさまでした!!)
タイ風レッドカレーうどんなるものをいただいたのですが、これがなかなかに美味。
唐辛子とココナッツミルクのバランスが絶妙で。
今度我が家で試してみようかな♪



  1. 2007/03/29(木) 23:37:49|
  2. 舞台|
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最終回

今日から春期講習。
別に塾の先生を再開したわけではありません。
6月に能を舞う男の子の集中稽古なのです。

ここのところ変声期で声が出にくい状態が続いている上、花粉症でダブルパンチ。
なかなか稽古が進められません。
僕自身彼くらいの年頃は声もよく出なかったし、発表会の様子をビデオで見てもなんだかぱっとしないなーと思っていた時期でした。
そんな時期に初めての能というのもなんだか酷なような気もしますが、彼のおばあちゃまのたっての希望ということもあり、とにかく稽古が嫌いにならないように楽しくできるようにするのが僕の役目。

でも能を舞うとなれば楽しいだけじゃダメなのかも。
塾の先生をやっていたときもそうでしたが、僕は厳しくするというのがどうも苦手で。。。
メリハリってやつなんでしょうけど、6月の本番に向けてこれからどうギアを上げていったらいいものでしょうか。


1時間ちょっとみっちり稽古して、今度は急いで国立へ。
宗家継承披露能の申し合わせでした。
昨年から微力ながら事務に携わってきましたが、いよいよ当日が近づいてきました。

僕の出番は半能「石橋」の地謡と、「翁」付「高砂」の副後見です。
地謡はともかく以前にも書いたとおり後見は非常に緊張します。
特に「翁」はシテが舞台上で面を掛けるなど通常の能とはいろいろ異なります。
とはいえ副後見の仕事はそう多くはなく、シテの指貫が乱れたら直したり、千歳に鈴を渡すとかそのくらいなのですが、それでもやっぱりボロが出てしまいました…。
ちょっとした所作とか思わぬところに粗さが出てしまいます。

今日はひとつ思いも寄らぬことが。
始まる数分前に急遽代勤ということになりました。
過去4回勤めたことがあったのですが、さすがにこれだけ急にとなると大変です。
謡本見ながらでもいいよとは言っていただいたのですが、さすがにそれは格好が悪い。
前にちらと聞いた話だと、劇団四季の役者は公演中急に役を降ろされたりすることがあって、その代役は過去やったことがある人が勤めるのだそうで。
で、過去一度でもその役をやっていればいつでも替われなくてはならないのだとか。
もっとも能も、江戸時代はこの曲ならいつでも相勤めますと書上げを殿様に出していたそうなので、四季云々言うより曲がりなりにもプロの能楽師であればそのくらいできなくちゃいけないということになります。

でも、やっぱし緊張はします。
見ていいと言われているにも関わらず、見ないで失敗してしまったりしたらどうしようもなくカッコ悪いわけですし。
手が震えそうになりながらもなんとか無事に切り抜けることができました。


話は全然変わりますが、さっき2時間ドラマ見ていました。
番組再編でどうやら長く続いたこの2時間枠も1時間×2の枠になってしまうようです。
最後を飾ったのは〝監察医室生亜季子〟
火曜サスペンス劇場といっていた時代、小学校低学年くらいからこのシリーズは大好きで本当によく見ていました(かなりマセていますが)。
その当時相棒の刑事役はすまけいでいつの頃か左とん平に代わり、最初はかなり違和感を感じましたが、今となると前はどんなんだったっけ?と思ってしまうほど。
サザエさんのカツオくんみたいなもんでしょうか(ドラえもんはまだこの域には達せず)。

昔はこのシリーズはサスペンス的にもなかなか面白かったと思うのですが、最近は人情的な面が強くなり、そして何より亜季先生と警部の絶妙なやりとりでみせるような色合いが強くなってきました。
マンネリといえばマンネリで今日のもスジとしては別に大したこともなく、というかやや時代遅れな感すらして潮時なのかなという気もしないでもありません。
でもアルフィーみたいに偉大なるマンネリみたいなものもあるわけで(アルフィーファンの方すみません)、やっぱり淋しいですねぇ。。。

このシリーズ自体よかったというのもありますが、浜木綿子という役者が好き。
実は一度杏林病院でロケやっているのを生で見たことがあるのですが、今まで有名人に会った中で一番嬉しかったかも。
香川照之も好きな役者なんで遺伝子的にこの一族に弱いのかもしれません(猿之助はみたことないけど)。




…しっかし、我ながらどーでもいいこと書いてるなぁ。



  1. 2007/03/27(火) 23:58:30|
  2. 舞台|
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徒歩の旅③

今日の東京は最高気温が20℃まで上がるとの予報。
足の怪我ももうすっかりよくなったし、久しぶりに徒歩の旅に出ました。
家を10時前に出たのにスタート最寄り駅に着いたのはは11時30分。
西高島平、遠すぎ…。

駅から少し歩いて前回の続き白子川まで行き、いよいよスタート。
ほどなくこの川の源流、新河岸川に到着。
更に行くといよいよ荒川。
土手を登っていくと…、
20070326233239.jpg

ほわぁ~!
写真じゃ伝わらないかも知れませんが、ぱぁぁーっと視界が開けてすっごく気持ちイイです!!
今日は上着のいらないほどのポカポカ陽気で風がとってもさわやか。
左手はのどかーな景色が広がっているのに、このあたりの右手は工場が立ち並びそのコントラストもちょっと不思議。

土手沿いの道ははるか遠くまで続きますが、心地よくって飽きません。
道はアスファルトで舗装されているのですが、ふと横の芝を歩くことにしました。
考えてみれば普段土の上を歩くのってほとんどないですもの。
ちょっとでこぼこしたところもありますがなんとなく懐かしい感じがします。

埼京線、京浜東北線を越えると、横を走っていた新河岸川がそれていきます。
20070326235540.jpg

ここからの荒川の支流+新河岸川が隅田川になります。
隅田川とはもちろん能にもなったあの川です。
 思えば限りなく遠くも来ぬるものかな
思わずこんな詞章がよぎりますが、まだ歩き始めて1時間半。
都から来た人はどんな感慨を込めてこの言葉をもらしたのでしょうか…。

ちなみに金春流の表記は「角田川」
でも謡本を開くとすぐ〝隅田川の梗概〟なんて文字が飛び込んできます。
なぜ?と聞かれても僕もわかりません。。。

そうそう岩淵緑地を歩いているとこんな看板が。
20070327005907.jpg

…え?(汗)
野生なのか、ペットとして飼っていたものが逃げたのか。
高校のとき合宿先の駒ヶ根で一度遭遇したことがありますが、お世辞にも気持ちのいいものじゃないです。
うーーー、おそろしぃ。

普段道路を歩いていると、ここから○○区という標識がありますがそれが全然ありません。
気がつくと北区を突破し、いつの間にやら足立区へ突入
鹿浜橋を渡り対岸に行き、都市農業公園を右手に見つついよいよ荒川とお別れ。
ここから新芝川に沿って歩きます。

ここで時間は14時。
そろそろお腹がすいてきますが、ずーっと川のそばばかり歩いていてお店がありません。
さらにうろうろ歩いても一向になさげなので、少しコースアウトしてやっとこさ一軒のお店を発見。
このツアーでは前2回とも個人経営の小さなお店に入ってきたので今回もそのパターンで。
ランチ営業もやっているけど夜の居酒屋さんがメインという感じのお店。
ランチはほとんどが880円。
おすすめ定食を注文。
鉄板にチキンカツ、卵焼き、野菜炒め、スパゲティ、器に載せてビーフシチュー、更に漬物、ご飯、味噌汁と盛りだくさん。
これならお買い得かも。

再び新芝川に戻り、ふと目をやるとこんなものが。
20070327002859.jpg

なんでしょう?
答えは、
20070327002944.jpg

そう、能「錦木」のテーマにもなっている木です。
今は地味ーな木ですが、名前のとおりこんなに鮮やかになるそうです。
ちなみに能で小道具(作り物?)として使う場合は木に布を巻いて作ります。

ここから住宅街を少し歩き今度は毛長川へ。
今日はほんとに川のそばばかり歩く日です。
舎人という古風な地名が見える頃になるとちょっと寄り道してパチリ。
20070327003808.jpg

ちょっと遠いですが真ん中あたりに立つ高い建造物、これが新交通 日暮里・舎人線の工事現場です。
平成19年度開業予定だそうです。

確かに京浜東北線のあと、すぐそばの埼玉高速鉄道(地下だけど)以来ずーっと鉄道がありません。
このあたり完全に陸の孤島状態です。
僕の足もだいぶ疲れてきましたが、止めるに止められない状況です…。

ここからもうひとがんばりして、ようやっと東武伊勢崎線が見えてきました。
でも歩いている都境はちょうど駅と駅の中間。
今まではだいたいちょうどいいところに駅があったのにー。
えっちらおっちら竹ノ塚駅まで歩いて今日はおしまい。



******************************************************
東京23区外周一周徒歩の旅 第三日目・記録
11時30分都営三田線西高島平駅発、17時東武伊勢崎線竹ノ塚駅着
板橋区、北区、足立区と歩く



  1. 2007/03/26(月) 23:05:10|
  2. 東京23区外周一周徒歩の旅|
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2007年出演予定 追加

喉はほんの少し回復の方向へ。
舞台予定追加です。


5月12日(土) 仕舞「山姥」キリ
 日本歌謡学会平成19年度春季大会  於:清泉女子大学



  1. 2007/03/24(土) 23:17:03|
  2. 出演予定|
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治らん!

一晩寝ても回復の兆しなし。
声がすぐひっくりかえっちゃうし。
いろいろ電話しなくちゃいけないことがあるんですが、これじゃさすがに…。
どんだけひどい有様か知りたい方は僕にイタ電してみて下さい。
…いや、やっぱりやめて。。。



そういえば高校生の頃にも1週間くらい声が枯れてしまったときがありました。
このまま声が戻らなかったらどうしよう、とすっかり落ち込んでいた僕に当時好意を持っていた子から「あなたって案外後ろ向きなのね」と言われ喉のことそっちのけで凹んだ思い出があります。
な~んて大昔のことを思い出していたら、今日ミクシィの足あとに彼女と思しき名が!
ま~、滅多に来ない様子なので強気に(といっても小さく)こんなこと書いてますが。
もう8年以上会っていませんが元気でやっているのかなぁ?
別に今更どうこうって気はさらさらありませんが、相当ーに特殊な人なので普通に生活していっているのかかなり心配。
僕からはメッセージ送りにくいから、これ見てたらよこせっ!!(←やっぱり見てないと思って強気)




  1. 2007/03/23(金) 22:58:36|
  2. 日常|
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喉潰れる

風邪が抜けたはずなのに声だけが不調。
午前中、師匠に見ていただいたときに既に枯れ気味でしたが時間を追うごとに悪化していきました。

出稽古まで時間があったので国立によって昼ごはんと唱歌写したりこまごま作業。
今は研究生稽古が休みなのでなんだかがらーんとしてます。
帰りがけ養成課のおばちゃ…、いやいやお姉さまがたと話していると、お一人4月から異動なのだそうで。
いろいろお世話になっていたし淋しいな…と思いきや、地下の図書館への短距離異動だそうで。
でも今までのお礼かたがたちょこっとしたものでも差し上げようかな。

午後、出稽古に向かうと今日は15時から20時までひっきりなし。
「兼平」やら「田村」やら修羅物をガリガリ謡っていたら、完全に喉を潰してしまいました。。。
普通にしゃべるのにも事欠く有様。
明日になれば少しはよくなるかなぁ???



  1. 2007/03/22(木) 22:50:16|
  2. 稽古|
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クレジットカード紛失騒動の顛末

昨日父から
「お前、カードどうなってんだ!」と電話。
ん???
一瞬間をおいて事態がわかりました。
カードは父に預けていたのでした。

が、合点がいきません。
保険料が僕の口座から引き落とされることになっていて、父がその振込みをやってくれるということになっていたのですが、僕の手元にあるお金でなんとか賄えることがわかり木曜日にカードを使って振込みました。
その晩父に会って振り込んだ旨を伝えました。
それから2日後の土曜の夜財布にカードがないことに気付き、すわ一大事とカードを止めたのです。

こう書くと父に会ったときに渡しただけでは?となりそうですが、この時点で急いで父にカードを預ける理由は全くありません。
更に父は預かったのは1週間以上前でわざわざ僕の部屋まで来て受け取ったというのです。
じゃあ木曜日に振り込んだときは通帳を使ったんじゃないかということになるわけですが、預け入れのときに出てくる紙には
〝3月15日 カード預入〟
とプリントされています。

しかし月曜日に父の手元にカードがあったことは事実で、それを使って預けようとしたところ、紛失届の出ているカードが使われたということで郵便局がちょっとした騒ぎになってしまったのだそうです。

いずれにしても僕がカードを止める際に父に一度確認しておけばよかったわけで(僕も渡したような記憶はおぼろげにあったのですが、時間の流れから考えてそれが記憶違いだろうと判断してしまったのです)、父を犯罪者にしかねない状態にしてしまいました。
(でも拾ったカードに預入する奇特な犯罪者はいないか)


どうも最近あとあとになって自分自身理解できないような行動や発言がたびたびあります。
今日も新しくPASMO付のカードを作ろうとカウンターでハンコを押そうとしたところ、全くためらうことなくハンコの背に朱肉をつけそのまま捺してしまい、イケメンの受付係のにぃちゃんに、
「いやーボケてるのかと思いましたけど、こんなことされた方は初めてみましたよー」
なんて言われちゃうし。
僕もこんなこと生涯初めてですよ。。。

風邪の余波か声が今日の稽古中突然出なくなっちゃったりもするし。
少し休んだほうがいいのかなぁ。



  1. 2007/03/20(火) 23:45:16|
  2. 日常|
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振りかえって その2 ~大失敗~

成東での舞台の翌週、国立で「清経」のツレのお役がありました。
昨年秋に続いて今回で4回目。
謡や型もすぐにスラスラと出てくるようになり、周りの先輩方からも「もうベテランだね」などと言われるようになっていました。

「胡蝶」まではとにかく自分のシテに集中して、終わってからこれに取り掛かろうと思っていたのですが、結局終わってからも息つくヒマもない状態でした。
そのツレを勤める週は研究会や稽古会が重なり、その週だけで10数曲覚えねばならず「清経」はカバンにはいつも入れてあるもののほとんど開けられませんでした。

さすがに木曜日の申し合わせ前日になって数度謡ってみましたが、普段と比べると明らかに少ないままでした。
申し合わせの直前、「こんな状態で絶句しなければいいんだけど…」と心配だったのですが、大きな失敗はなく終了。
これが自分の気の緩みになってしまったかもしれません。

申し合わせ翌日の金曜は研究生の稽古に行き、気合が入りすぎて喉をつぶしてしまいました。
更に翌日も出稽古で謡いっぱなし。
当日を考えるとこれ以上声を出さないほうがいいかも、と思い事務仕事などをして当日を迎えました。

いつもどおり楽屋では緊張せず、そのまま開演。
「清経」のツレは囃子方が着座すると、そのままシーンとした状態で出て行きます。
さすがにここになると非常に緊張するはずなのですが、あまり変化のないまま出て行きワキ座に着座しました。

ほどなくしてワキとの掛け合いが始まります。
このあたりも自分としては落ち着いているつもりでした。
普段は合間に次の謡を頭の中で確認したりするのですが、自然に口をついて出てくるので、なるべくそういうことは考えず相手の謡をじっくり聞くよう心がけていました。

舞台は進みシテの登場。
ここでもうひとかたまり分量のある謡があります。
掛け合いが続き、佳境に入ったあたりで「ああ、この次の文句は前に力が入りすぎたことがあったから気をつけないと」と思って謡いだした途端、
???
自分の口が全くわけのわからない言葉を発し始めました。
確かここは3句あったはずだからなんとか途中から修正しないと…!
と思ったのですが、どうにも詞章が戻って来ず絶句だけはしないようにとにかく謡ってシテに無理矢理預けることしかできませんでした。
普通こんな状態で渡されたら受けたほうも大変なのですが、そこは師匠のお父様何事もなかったかのように正確に続けて下さいました。

しかし、もうここからは目の前が真っ暗でした。
「ああ、やっちまった…」という思いと申し訳ないという思いで一杯でそこにいることが本当に辛くてしょうがありませんでした。
ただここでそれが見えてはいけないので、その後の謡、細かい型などはとにかくもう死に物狂いでした。

幕に入るともう平謝りしかありません。
本当に凹みました。
いや過去形ではなく、今も相当引きずっています。

必死で稽古してそれでもこういう事態になってしまったのなら、まだ諦めもつきます。
でも明らかに稽古不足の状態でこういう結果を招き、舞台上の皆さんに迷惑を掛けお客さまにも申し訳ないことをしたと思うと、なんというか…。
いろんな稽古や流儀の事務仕事をするのももちろん大事なことですが、一番大事なのは舞台です。
どれだけ稽古を頑張ったって、どれだけ事務的によい段取りをしたって、舞台で失敗をするようでは本末転倒も甚だしい。

以前師匠の奥様が、
「信頼を得るのは本当に時間がかかるけど、壊すのは一瞬だからね」
とおっしゃっていた言葉が何度も何度も頭をよぎりました。

僕は稽古屋でも事務屋でもない。
舞台に立つのが仕事。
この舞台を糧に出来なければ僕の成長は頭打ちになってしまうでしょう。



  1. 2007/03/20(火) 23:12:19|
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カミシモ

昨日、家を出て駅まで行く途中で忘れ物発覚。
それは裃。
遠山の金さんが着ているアレです。

能の基本スタイルは紋付袴ですが、裃を着用することがあります。
これは「卒都婆小町」など老女物や、「乱」「石橋」「道成寺」など披き物といった曲による場合、またお祝い追善といったような会の趣旨による場合があります。
今回は「望月」だったのですが、シテが〝獅子〟を舞うため重い習いとなっています。
しかし、
忘れ物を取りに帰ったため到着が遅くなってしまいました、すみません。。。

さてこの日はもう1曲「半蔀-立花がありました。
こちらもこの立花という小書(特殊演出)がつくと重い習いとなります。
舞台が始まって程なく生け花が舞台正先に置かれ、シテはここに夕顔を挿すという型が入ります。
でも僕が個人的に思うのは一番重い習いになるのはこの立花を運んでくる後見なのではないかと。
理由はよくわかりませんが、花瓶には必ず水が目一杯に入れられることになっているようです。
一滴の水もこぼすことなくこれを運んでくるのは(まして橋掛りの長い国立だし)相当神経を遣うはずです。
能楽師の最大の目的といってもよい揺るぎない足腰が要求されるわけでもあるわけですし。

さていよいよ「望月」です。
シテを勤めるのは僕より1つ上の先輩。
僕がこの曲を勤められるのは何年先でしょう…?
シテも大役ですがツレも謡が多くて大変。
そして子方はとっても大役!
謡の量もかなり多いですし、〝鞨鼓〟を舞わなくてはなりません。
今回勤めたのは6年生の女の子でしたが、大きな声で謡って鞨鼓もばっちり舞って見事!
この子を最初に見たのはまだ小学校に上がって間もない頃「邯鄲」の子方のときでしたが、ずいぶん立派になったなぁとお父さん的に見てしまいました。。。

この曲、獅子を舞う前に
〝某は獅子舞うたる事はなく候えども〟
というシテのセリフがあります。
大嘘です。
獅子を披くのは「石橋」の赤獅子で披くのが普通で、「望月」で披くというのは聞いたことがありません。
…ま、だまし討ちにして主君の敵を討つというストーリーなもんで、そのくらいどーってことないんですけどねー(それ以前の話のような気もものすごくするのだけど)。

地謡も相当突っ込んだ所があり目一杯謡ってきました。
切戸にひいた途端、一気にぐったり。
疲れだけではなく明らかに体調不良のレベルです。
あまりに急激にきたのでインフルエンザかとも思ったのですが、風林火山を見た途端床に就き、夜中ひたすら汗をかいたおかげで一気に回復!

でも今年の冬は風邪ひきすぎ。
食料品代ひと月1万円を切るというのは見直しが必要かも。。。



  1. 2007/03/19(月) 23:45:46|
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振りかえって その1

木曜日にクレジットカードを紛失していたことが発覚!
生保の引き落としのために結構な金額が入っていたので悪用されていたら大変でしたが、さっき気付いてカード会社に電話したところ幸い無事でした。
やれやれ。。。


さてネット不通の間の出来事ですが、舞台のことを。
3月3日ひな祭りの日、千葉県は成東まで「五人囃子コンサート」と銘打った催しに伺ってきました。
こちらにお住まいの太鼓方の方が企画され、他のメンバーは笛、小鼓、大鼓方とシテ方の僕。
全員若手の編成でちょっぴりピクニック気分です♪

3時間ほど前に会場入り。
差し入れにみんながびっくりするほどの大っきなイチゴをいただきました!
お囃子方のひとりに大のイチゴ好きで「イチゴ王子」と自称する方がいていろんなアングルで撮影していました。
20070317231354.jpg

その必死に撮影する様子がおかしかったので僕もパシャリ。
誰だかよくわかんないようにちっちゃく掲載しておきます。
イチゴはとーってもおいしかったです♪

この日の催しですが、能楽部隊以外にもう一編成。
多方面で活躍されている某笛方能楽師のお弟子さんという笛奏者の方とギター奏者の方のセッションが交互に行われました。
ちなみにギター奏者の方は僕もお会いしたことのある一つ上の観世流の方と高校の同級生だそうで。
世間は狭いものです。

さていよいよ開演。
最初は舞囃子「高砂」
といっても地謡がいない状態なので、僕が座って待謡を謡い、出端で立ち正先に行ったところで神舞に入り神舞留という変則バージョンでした。
所作台が敷いてあったのですが、場所によってはややガタガタするところもあり気を遣いました。
先輩にどんな特設舞台でも何事もなく舞ってしまう先輩がいらっしゃいますが、実際体験してみると改めて先輩のスゴさがわかります。

引き続き謡の解説なるものを担当。
10分弱の短いものでしたが、今謡った「高砂」の一節を皆さんと一緒に謡いました。
とりあえず笑いがとれたのでよし…、って僕は芸人か?

その後、笛とギターのセッション。
舞台袖で聴かせていただきましたが、すっごくキレイ。
笛奏者の方は僕よりだいぶお若い可愛らしいお嬢さんでしたが、腕はなかなかのもの。
音が鳴りにくい能管もしっかり吹かれていていました。
かわいそうに我々の笛方は、他の先輩方から「彼女にやってもらうからお前今日はもういいよ」なんて言われちゃってました(笑)

次の出番は居囃子「経政」
すいません、詞章1箇所間違えました!
有名な間違えやすい曲なので気をつけなくちゃいけないのは重々心がけていたつもりなのですが…。

気持ちを切り替え最後の曲、居囃子「石橋」
これはまず笛奏者の方がご自身が作曲された曲を舞台中央で独奏され、続いて能に移るというジョイントスタイルでした。
コラボレーションというのは最近よくありますが、こういうスタイルもありだなと舞台に座りながら感じていました。
その笛の音に気合を高めつつ、僕はキリの部分を独吟。
掛け声マックスの囃子方4人に勝てるわけがないので僕はマイク入りです。
ちょうどこの前日テレビで神遊の皆さんが同じ居囃子「石橋」をされていました。
ちょっとばかし負けてなるものか!という思いもありましたが、やっぱり4対1はきっついものがあります。
声も枯れんばかり目一杯謡いましたが、見所にはどう響いたでしょうか?

考えてみれば金春流外の方から舞台のお仕事をいただいたのはこれが初めて。
公演で地頭(ひとりなので自動的にそうなるわけですが)を勤めさせていただいたのも初めて。
本当にいい経験を積ませていただきました。
ありがとうございました!



  1. 2007/03/17(土) 23:53:42|
  2. 舞台|
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今日も一日事務・稽古

振りかえって書いていこうと思いつつも、とりあえず今日の出来事を。

6時半起床。
事務所で会議資料作り。
10時から3時間ほど継承能に向けた最終会議。
その後、昼食を食べながら事務長と謡本倉庫引越しの打ち合わせ。

16時から国立で稽古。
着くなり「熊野」を謡い、見直す暇なく大鼓へ。
打ち始めてから手を調べ忘れていた部分があることを思い出し、薄氷を踏む心地で「杜若」
あと1回間違えたら「もう1度!」といわれかねないギリギリのところでパス。
終わるや否や今度は小鼓。
手付けしてあったという理由だけで、なぜか「吉野静」(だって一から手付けを書き写すのって結構大変なんですもん…)。
ただでさえ遠い曲な上、謡いなれない金春流で先生に相当負担をおかけしてしまいました。。。
引き続き「枕慈童」のお相手を勤めさせていただき、の唱歌も謡わせていただきました。
考えてみたら笛の稽古以外でこれを謡うのは初めて(もちろん自分の稽古として一人で稽古はやりますけど)。
とにかく大きな声ではっきり謡うようにしたのですが、終わっていろいろご指摘をいただきました。
唱歌ってシテ方としては、正直なところ、とりあえず間違えないで謡えればいっか、くらいに思っていたのですがそんなもんじゃないんですね。。。
日々精進であります。



  1. 2007/03/16(金) 22:36:52|
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復活!

無事ネットが開通しましたっ。
不通の間いろいろありましたので、おいおい振りかえって記事を書いていこうと思います。



  1. 2007/03/15(木) 12:08:43|
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引越完了

20070315120629.jpg

3時間ほどですみました。
なにせ305号室から302号室という超短距離引越。
リフォームの関係上、管理人である父から移動命令が出たのです。

この部屋はすでにリフォームが済んでいます。
キッチンが少し広くなり、ガスコンロ付き、バス・トイレ別、ロングコートが掛けられるクローゼットになっています。
しかしその一方収納がだいぶ少なくなり、棚に突っ張り棒を張るなど今まで住みよくカスタマイズしていた部分が全てリセット。
物は少ないほうだと思いますが、行き場を失った物が床に散乱している有様です。。。

夕方から国立で稽古があったのですが、3科目中2科目休講。
せっかく遠い曲を稽古してきたのに残念でしたが、おかげで絵を描いている友人のグループ展に間に合いました。
でもって、今から観劇。
楽しみ楽しみ♪



  1. 2007/03/02(金) 19:58:01|
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ひっこし

急な話ですが、明日引っ越します。
しばらくネットが使えない可能性大です。
なるべくがんばりますが、ブログが滞ってしまったらすみません。



  1. 2007/03/01(木) 22:52:27|
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能楽師への道⑦ ~高校・大学、そして初めての能~

まただいぶ間が空いてしまいました。。。


さて前回は14歳で現在の師匠のもとに入門したところまで。
その後、舞囃子を何番か舞いました。
順序が怪しいですが、「海人」「野守」「加茂」「安宅」など。
その間高校受験、大学受験がありましたがほぼ休みナシ。
高校受験のときはひと月前、大学受験はふた月前まで「気分転換ですから」と言ってお稽古に通っていました。
さすがにそれ以降は師匠から強制的に休まされました。
そりゃそうですよね、趣味に没頭して受験失敗したなんてなったら、教える側としても責任感じられますものね。。。
(そんな中でもいちお、ストレートで受かってます。えっへん!)
今と違って趣味ですからたとえ覚えてこなくたって、まーなんとかなるっちゃなるわけで(不真面目)。
でもそこまでやっていたということは、やっぱり僕は能が好きだったわけですね。

そして大学2年生、ハタチのとき初めて能を舞わせていただくことになりました。
もちろん玄人としてではありません。
装束を着るのは子方時代以来、能面を掛けるのは初めて。
囃子事はなーんにも知らない状態でした。

曲は「田村」
なんでこの曲になったのかはよくわかりませんが、今考えると結構ヘビーです。
前シテの語りは3ページくらい一人でしゃべんないといけないし、前後とも型が多いし。
が、何も知らないことはある意味強いことで、能をやるというのはこんなもんなんだろうと思っていました。
(恐らくプロになって今まで勤めたどの曲よりもセリフが多いです)

舞っているときは無我夢中だったので、そのときどんな気分だったかはさーっぱり覚えていません。
今改めてそのときのビデオを見直すと…見ちゃいられません。

でもそのときワキを勤めていただいた方からえらくほめていただき、その前後に師匠と奥様からプロになったらいいのにねぇなどと言っていただき(ご本人方は覚えていらっしゃらないかも)、僕は自分でもはっきりとは意識しないながらも着実に能楽師への道を歩み始めていったのです。



  1. 2007/03/01(木) 22:50:17|
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