fc2ブログ

駆け出し能楽師の奮闘記
敷居が高いと思われがちな能楽の世界を、能とは関係のない家から飛び込んだ私・中村昌弘の奮闘を通じて少しでも身近に感じていただけたらと思います。

「舞えよ」

昨日。
謡の稽古で国立へ。
「紅葉狩」の前場をアシラっていただくことになっていました。
ちょうど鼓方の研修生がいらっしゃったのでお付き合いしてもらいました。

この曲は鬼が美女の姿で現われて平維茂を襲おうとする話なのですが、前場の終わりは本性をあらわして「キサマそのまま眠っておれ、キヒヒ」といった感じで終わります。
舞も中ノ舞(または序ノ舞)を舞ううち、維持が眠ったことを確認すると急ノ舞という非常に速い舞に変わります。
でもその部分がどこで変わるかがうろ覚えで、やる前にその鼓方の方と、確かこんな具合だったと思うんだけど今日は謡の稽古だからまさかやんないよねぇ、なんて話をしていました。

さて時間になり、連れ立って稽古室へ。
いつもながら先生が目の前に座っておられるだけで異常な緊張感に襲われます。
謡い慣れた曲なのにふと次の言葉がわからなくなりかけてしまったり。
でもこういう緊張下で稽古できるのは、やがて地頭を勤めるときに必ず生きるはず!です。

今回は序ノ舞バージョンでやっていただいて(舞に入る前の謡い方に影響が出ます)、やれやれと一息。
さて序ノ舞はどこまでやるんだろ。
序でお終いかと思いきや終わる気配なし。
カカリまでかなぁなどと考えていたその瞬間、

「舞えよ」

…へ?

「舞え」とおっしゃったんだ、と頭の中で処理するのに一瞬時間がかかりました。
さあ、どうしたものか。
とりあえず初段から序ノ舞を舞っていきます。
ええと位が変わるところは、えーとえーと…、わからん!なんとか序ノ舞三段でごまかせないものか…と涼しい顔しながら内心大汗でした。
確か二段が抜けるはずだったけど…、普通に二段やっちゃえ!
お、どうにかセーフかとオロシを終えて角から大小前に行こうとしたとき、

「おい」
先生の手が止まりました。
「どこで急ノ舞になるんだ?」

もうこりゃどうにもなりません。
不勉強でわかりません、申し訳ありませんと平謝り。
先生は
「まぁいいや」
と。
そんなこんなで、とにかく舞い上げの謡へ飛びました。。。



で、今日師匠のお稽古があったので、早速寸法をお聞きしました。
雨降って地固まる。
これでしっかり覚えました。
ついでに「道成寺」の急ノ舞も調べておきました。

あったりまえながら、シテ方としては謡も舞も両方できないといけません。
今回はいい教訓になりました。。。

スポンサーサイト





  1. 2008/01/31(木) 23:47:16|
  2. 稽古|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:6

テレビ雑感

ここのところテレビで舞台を続けて見ました。
1つは『天河伝説殺人事件』。
ストーリーそれ自体より能のシーンのほうが気になってしまいました。
「道成寺」を舞っている場面では、セルリアンタワーのシーンはちゃんと三役がいたり鐘が吊ってあるけれど、天河神社のシーンだとなんにもなし。
絵的にシテにスポットがあてやすいのと、費用の問題でしょうけど。
ちなみにあの鐘って作るのに手間がかかるんです。
一番早かったので2時間半で完成というのを見たことがありますが、普通は4時間はかかると思います。

あと能楽堂の外観がこしがや能楽堂で、中に入るとセルリアンタワー能楽堂になってたり。
そもそもセルリアンだと座席数が少ないから、継承披露能なんてものをやろうとしたら切符1枚5万円くらいとらないと破産しちゃうんじゃ…なんて思ったり。

いろいろツッコミを入れながら見ていました。


もうひとつはNHK教育で放送された「芭蕉」
以前書いたように昨秋収録したものです。
実は本番直前、ある囃子方の先生にちょっとしたことで褒めていただいて、嬉しさのあまりニヤけた顔のまま入ってしまったんじゃないかと心配だったのですが…、
地謡の顔なんかそうアップにはなりませんわな(笑)


更にもう一つ『篤姫』でも「養老」(ではなくて「高砂」でした…)のシーンが出ていました。
そういえば、去年研究生の控え室で生宮崎あおい見てきたなんて話が出てました。

能とは関係ないけど、今回の大河なかなか面白い。
問題は、今17歳で充分通じてしまうヒロインが(今回の長塚京三とのやりとりはなかなかかわいかった)、歳をとった篤姫を演じきれるかでしょうねぇ。



  1. 2008/01/28(月) 21:45:02|
  2. 舞台|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:11

選考基準

この前家の近くの駅で人を選んでポケットティッシュを配っている人がいました。
狙い済ましたように僕の前へ来て「お願いします!」と一言。
見ると〝自衛官募集〟でした。
なぜわざわざ?と思いながら募集要項を眺めていると
〝応募資格18歳以上27歳未満の男子〟
と。
ほー、そう見えたか。
えへへっ。


そんなこんなで今日は国立で稽古。
昨日2時過ぎまで暗誦に追われ起床9時。
外はしっかり銀世界。

早めに国立に行き、小一時間自主稽古してまず大鼓。
…だったのですが撃沈。
「邯鄲」てば難しい。。。
続けさま太鼓。
これまた大凡ミス。
はぁ~~。

しょげていてもしょうがないので、帰りにみんなでラーメン食べて帰りました。
まぁこんな日もあるさ。。。



  1. 2008/01/24(木) 00:55:25|
  2. 稽古|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

出血

落書き

朝はゆっくりだったものの、昼から出稽古→国立で講義→研究会とバタバタ。
おまけに研究会に向かう途中、中央線が止まっちゃうし。
(せっかく新宿で快速に乗り換えたのに、中野で各停に抜かれちゃうのはなんとも悔しい)
荻窪で立ち食いそばでも食べてから行こうと思いましたが、時間がなかったのでコンビニで肉まんを二個買い、お行儀悪いですが歩きながら食べて腹ごしらえしていきました。
腹が減っては戦はできぬです。

さて研究会は「百万」「絃上」の地謡と「葛城大和舞の地頭。
大和舞は装束や前場の謡に変化が出ますが、後場序ノ舞が序無二段神楽になり詞章と節、緩急に変化がつきます。
比較的近い曲で、地謡前列で謡ったことは何度かありますが地頭は初めて。
いざやってみると沈めたい所とか、進めたい所などなかなか思うようになりません。
おまけに出稽古で張り切って謡いすぎたのか途中で喉の奥が切れてしまいました。
オンシーズンになると大抵やってしまうのですが、こんなオフシーズンにやってしまうとは。。。

ちなみに最初の写真は、研究会が終わったあと僕の手帳に師匠が無理矢理(?)書いて下さったありがた過ぎて消すに消せない落書きです。



  1. 2008/01/22(火) 23:43:30|
  2. 稽古|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

今年初

昨日は今年初めての舞台でした。
僕の役は「東北」の地謡。
もうひとつ「野守」の作り物中での物着のお手伝いをしました。
今回は後シテの格好がモギドウだったため普段より早めに終わりました。
それにしても舞台上で着替えというのは、お手伝いとはいえ、臨機応変に対応しないといけないので気を遣います。。。


今日は稽古会。
来月の「小鍛冶」を舞い、「土蜘」「舟弁慶」「百万」の地謡をしました。

今日はシテ方だけの稽古会だったため、ワキやアイといった役も自分たちで謡います。
ワキの謡は多少謡い方に違いがあるものの謡本を見れば謡えるのですが、アイ狂言は難しい。。。
シテ方は狂言の稽古まではやりません。
お腹から大きな声で謡うという根底の部分は同じですが、節回しもしゃべり方もまるで違うのを真似るのは困難で、こういう場合狂言テイストでやります。
「百万」で数句謡いましたが、いやー難しかったです。


今日の稽古会の会場は電車で行くとぐるっと大回りせねばならず、バスもあるのですが時間1・2本なため自転車で行くのが一番早くて安上がり。
(ホント世田谷区は南北間の交通は不便です)
先日の水道道路を歩いたときもそうでしたが、世田谷区から杉並区を南北に歩くと案外アップダウンがあります。
自転車だとなおのことで、前かごに着物を積んだ状態で往復突っ走り、能を一番舞い、3時間ほど正座って足には結構負担なようで。
どうも太股に張りが…。



  1. 2008/01/21(月) 23:22:31|
  2. 舞台|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

子供のように

昨日は今年初の研究会でした。
「土蜘」は短い能で、地謡の分量もそう多くはないのですがややこしい。
一句飛ばしてもなんら問題なく繋がってしまいそうです。

その後国立へ。
大小太鼓の3科目。
皆さん忙しいのか出席者はえらく少なく、そのため次から次への稽古でした。

久しぶりのみっちり稽古で疲れたのか11時前に寝てしまいました。。。


今晩は日曜の初会の申し合わせ。
しっかり謡ってきます。



  1. 2008/01/17(木) 11:35:53|
  2. 稽古|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0

銀行にて

今月は舞台が少なくわりとヒマです。
確定申告の資料も作り終え、あとは支払調書を待つだけ。
ま、それよか稽古しろという話ですが。。。

昨日謡い過ぎたのか朝起きると喉に違和感。
だんだん風邪っぽい症状になってきたような気がしたので一応薬を飲んでおきました。


昼前、銀行へ。
行員さんの指示に従って必要書類に記入を終えて待っていると、
「あ、すいません、ここにも日付をご記入下さい」
あ、どれどれ。
またしばらくして、
「ハンコが薄かったのでもう一度いただけますか」
って、アンタが捺したんじゃん。。。
こやつちと抜けてんじゃないかと、体調が悪いせいかややイライラ。

そのうちに一人の行員が近づいてきて、
「○○くん(僕の名前)ですか?」
既にヤサグレかかった心に、ナローこの銀行は客を君呼ばわりすんのかとカチン。
でも次の瞬間、
「同級生の…」
へ?
名札を見てもピンときません。
ん?中2のときに転校した子か?
でもほとんど接点なかったはずだけど…。
「旧姓△△です」
あー、思い出した!!
7年前に同窓会で会っていて、そういえば話もしたような気がするのですが、眼鏡をかけ、ちゃんと化粧して、まして結婚というものを経ると女の子は見違えるように変わってしまうもんです。
思わぬ再会にさっきの不機嫌はどこかへ行ってしまったのですが、薬が効いて頭がぼーっとしてて、なんだかトンチンカンな会話をしてしまったような。。。


そんなこんなで機嫌よく銀行を出たものの、数分後、
「すいません、書類を一通いただき忘れましたので至急もう一度ご来店下さい」
との電話。
最初のアイツか…。
定期預金解約したろかと鼻息荒く再び来店。
が、同級生の「ごめーん!」というえらく申し訳なさそうな表情に、機嫌を直すどころかいいよいいよとニコニコしてしまうワタクシ。


なんでこんなコロコロ機嫌が変わるのかと、ひとり苦笑い。。。



  1. 2008/01/11(金) 23:12:51|
  2. 日常|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

能楽史は江戸まで

今年の出演予定に「放下僧」を追加しました。
初役で今年のツレの中で最も大役なのですが、書き忘れ。。。


今日は稽古→床屋→出稽古→講義 という一日。
床屋のおねえさんが妙にハイでした。
お年始ということで〝竹製極上夫婦耳かき〟をいただきました。
…って、なぜに耳かき???


能楽史の講義はついに江戸時代。
ここまで見てきていると金春座は厳しい歴史を歩んできたなと思ってしまいます。
だって史料に残っている限りでもずいぶん引き抜きにあってるんですもん。
当時上意には背けないとはいえ、足利義政によって守菊弥七郎、日吉源四郎が観世座に、徳川家康により金春左吉(太鼓方)が観世座に、秀忠によって春藤六右衛門が宝生座へ(下懸宝生流の起源)それぞれ転籍させられています。
そのときどきの大夫はどれだけ頭を悩ませたことでしょう。
しかしそんな苦難を耐え抜いて、金春流は80世宗家まで脈々と受け継がれています。
そんな長い長い歴史の一番端にいられることは大きな誇りですし、いつかこの世の生を全うしてあの世にいったたとき、そうした偉大なる先輩方にも「お前よくやったな」と言ってもらえるような立派な能楽師にならなくちゃいけないなと講義を聞きながら一人燃えるものを抱いていました。
(もっと集中して講義聴けよ、という声が聞こえてきそうですが…)

もうひとつ北七大夫(当時は〝喜多〟ではなく〝北〟だったそうです)についても教わりました。
喜多流初代ということは知っていましたが、実に波乱に富んだ生涯だったんですね。
堺の目医者の子として生まれ、素人の出ながら7歳でシテを舞ったため〝七大夫〟と呼ばれ、その才能から金剛弥一の芸嗣子となり、20歳にして大夫に。
ところが大坂の陣で豊臣方につき浪人。
遊女に能を教えて生計を立て、やがて秀忠に見出され一流をなすまでに。
他の四座の大夫が若年であったこともあり一躍時の人となりましたが、晩年に桑名の殿様と揉め逼塞。
後に許されるも、1653年68歳でその波乱の生涯を終える…
と大雑把ながらこんな一生を送った方です。
喜多流が武士の気風を残しているというのは一般的に言われていることですが、初代のこうした性格が色濃く流儀に残っているのでしょうね。

北七大夫については「喜多流の成立と展開」(表章著)という書に詳しく書かれているそうで、興味をひかれるのですが何せ900ページの大著。
ちょ、ちょっと気合が要るなぁ。。。




  1. 2008/01/08(火) 23:38:30|
  2. 考えごと(能楽)|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

番外編  ~荒玉水道道路~

久しぶりの長距離お散歩。
今回は番外編で、荒玉水道道路を歩いてみることにしました。

この道、たぶん東京23区内で最も長い(ほぼ)直線道路なのです。
地図で見るとこんな(縮尺を1/75000に設定して下さい)感じ。
環七と青梅街道の交差点付近から始まり、多摩川近くの砧浄水場までの約9キロ。
10時にスタートしました。

歩き始めて数分は少し曲がった細い道。
はてこれでいいのかと道路の真ん中で地図を見ていたら、パトカーにクラクションを鳴らされてしまいました。。。
しばらく歩くと見えてきました、直線道路。
スタート

トラックが前に入っちゃいましたが。。。

水道道路という名のとおり地下にまっすぐな水道管が埋まっているらしく、その上に道を通したためこれだけの直線道路になったそうです。
ちなみに〝荒玉〟というのは荒川と多摩川をくっつける予定だったそうですが、荒川までは延びきらなかったものの名前だけはそのままということになったそうです(笑)

さて歩いてみると、どこまでも遠くが見渡せる!、な~んてことはありません。
意外とアップダウンが多い上、東西に走る幹線道路やら鉄道にときどき阻まれます。
おまけに交差する細い道はめちゃくちゃな繋がり方をしてます。
例えばこんなふうに七差路になってたりとか。
水を求めて集まってくるのでしょうか。

井の頭線、甲州街道、京王線と横の道を越え、縦に走る環八を越えるともう3分の2くらい。
更に進み世田谷通りを越えると一気に視界が開けてなかなか気持ちがいいです。
(写真撮り忘れました。。。)
このまままっすぐいくと2時間ちょいで着いてしまうので少し寄り道。
前から行ってみたかった次大夫堀公園
古民家が残された施設なのですが、3棟ある建物には自由に入れます。
長く歩いてきてほてった足をひんやりした畳が心地よく冷やしてくれ、陽がぽかぽか当たる縁側にいるとそのままうたた寝してしまいそう。
風通しもいいので、夏場ここで大の字になって昼寝したらさぞかし気持ちいいことでしょうね~。

リフレッシュして再び水道道路へ。
成城の高級住宅街から少し離れたこのあたりはずいぶんと長閑。
畑も多く見られ時折野菜の無人販売所が。
道の向こう側に見つけ、思わずフラフラ歩いていくと、ププー!!思いっきり車に轢かれそうになってしまいました。。。

そんなこんなするうち、ついに終点の砧浄水場へ到着。
振り向いて今来た道をパシャリ。
ゴール

直線具合があんまりよくわかりませんが。。。


途中の寄り道を含めて3時間程度。
せっかくここまで来たので多摩川土手沿いに二子玉川まで歩きました。
河川敷では快晴の空に凧がちらほらあがっていました。
そういえばここは中学生の頃学校行事で走った道。
来るのはそれ以来14年ぶり。
もう中三のあのときから倍生きたわけですね。
光陰矢のごとし。




  1. 2008/01/07(月) 18:20:33|
  2. 東京23区外周一周徒歩の旅|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:3

2008年出演予定

〔シテ〕
 2月24日(日) 「小鍛冶」
  円満井会定例能 於:矢来能楽堂

〔ツレ〕
 3月9日(日) 「嵐山」勝手明神
  金春会定期能 於:国立能楽堂

 3月16日(日) 「紅葉狩」
  秀麗会能 於:国立能楽堂

 4月20日(日) 「放下僧」
  円満井会定例能 於:矢来能楽堂

 5月4日(日) 「葵上」
  金春会定期能 於:国立能楽堂

 8月2日(土) 「小袖曽我」太刀持
  円満井会定例能 於:矢来能楽堂

 10月5日(日) 「鉢木」
  金春会定期能 於:国立能楽堂


 ※円満井会定例能、金春会定期能とも12時30分開演
   全席自由、一般5000円



  1. 2008/01/03(木) 21:01:31|
  2. 出演予定|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2

新年のご挨拶

すっかりご挨拶が遅くなってしまいましてすみません。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。


年末から昨日にかけてひたすら遊んでました。
終電を過ぎる時間までというのが3回!
まだまだ僕も若いもんですっ…ってあまり自慢になりませんね。。。

たっぷり遊んで充電したので今日から個人的に稽古はじめ。
ガーッと謡ってきました。

1月は舞台が少ないので確定申告などの事務仕事を早めに済ませ、来月のシテに向けての稽古に励もうと思っています。


今年も1年宜しくお付き合い下さいませ。



  1. 2008/01/03(木) 20:30:31|
  2. 日常|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
 ∥HOME