「恋重荷」という曲は…、
山科荘司という菊の世話をする老翁が女御に一目ぼれしてしまい、それを諦めさせるべく臣下が一計を案じ、恋重荷なるものを持って庭を歩けば女御が姿を現すなどという。
でも一見軽そうなこの荷は実は巌で、所詮は叶わぬ恋と諦めさせようとしたもの。
荘司は憤死し、亡霊となって女御を責めるが、、弔ってくれるならば守り神となりましょうと言って姿を消す…といったお話。
この曲は、男というものは小学生男子が好きな子にちょっかいを出して気をひこうとする、そんな心が幾ら歳を重ねても変わらない。
死して女御の前に現れたのもそうした男心を表したもの、という感じで捉えていました。
でも今回でかなりイメージが変わりました。
師匠のお父様の荘司はもっともっと深いものがありました。
恋というよりも愛情。
それを踏みにじられたことへの嘆き。
恨みとか怒りとか自分勝手な感情ではないような、そんな感じでした。
実際亡霊となった荘司は女御に向かう型は一度しかなく、他は重荷に対して心の切っ先を向ける型が続きます。
気をひくためならもっと女御に向かっていっていいはずです。
女御も今までは世間知らずのお嬢様で、「臣下がうるさいからまぁ弔ってあげよっかな」程度に思っていましたが、シテの姿を見ていると、この重荷の犠牲者に同情する、もっと心の美しい人でなくてはならないような気がしてきました。
女御をつとめていて、動けなくなってからは爪立ての状態で10分程度じっとしていなければならず、地味に厳しいものでした。
でもそれが解け、元の座に戻ると、足の痛みも和らぎ心も落ち着いてきます。
面の狭い視野からは重荷しか映りません。
申し合わせのときにも感じましたが、とても切ない気分になり、面の中で涙が流れました。
間接的にであれ、自分が人の命を奪うことになった。
そしてその元凶となったものが目の前にある。
荘司がどれだけ頑張っても持つことのできなかった重荷は、女御の心に背負わされることになってしまいました。
「恋重荷」という曲名は、本当はこの目に見えない重荷を指しているのかもしれません。
これから彼女はつらい日々を送ることになるでしょうが、それを乗り越えたとき、本当に美しい女性になれる。
それを見守るのが荘司なのではないか。
荘司は単なる自己満足のストーカーではなく、本当の守り神のような温かさを今回感じました。
でもこれが正解であるかどうかはわかりません。
僕の妄想かもしれないし、他のシテのときにはまた違ったものにもなるでしょう。
ただ今回、得がたい経験をさせていただいたということは間違いないと思います。
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