満員のお客様、能楽界の諸先生方、受付回りを担当してくださいました中央大学黒田ゼミの皆様と女流能楽師の皆さん、そして会場をお貸しくださった喜多能楽堂、本当に有り難うございました。
私自身としては会の運営や、自分の舞台など課題はありましたが、終わってほっとしたというのが正直なところです。
まだ映像を見ていないので、客観的に見れていないところはありますが、とりあえず。
まず反省しないといけないのは最初のご挨拶。
開演前に会場設営や切符の準備ミスやらで走り回り、13時半の段階でクタクタに。
挨拶もマイクの音のこともあり、まとまらず…。
普段講座もマイクを使わないことが多いため、マイクがあるとどうも大きい声を出すといけないと控えてしまうらしく、かえって聞き取りにくくなってしまうようです。
あと、どうもマイクがあると両手で握ってしまう癖があり、「丁寧にしゃべろうとするとオカマっぽくなる」らしく、どうも…。
次回以降マイクは使いません…というか挨拶自体、一般的な公演と同じようにナシにしようかとも考えています。
「融」については、今まで勤めてきた舞台とはだいぶ違う感じでした。
具体的には〝シッカリ〟したということ。
シッカリというのは能楽用語で、テンポがゆったり+α的な意味です。
普段、どうもカルク(シッカリの対義語)なりがちで、だいたい標準上演時間よりも短めになる傾向があり、最初の挨拶でも17時前に終わると思っていました。
今回、やはり亀井忠雄先生のお力が大きかったと思いますが、出の一声(前シテの登場囃子)がかなりシッカリだったため、その雰囲気に委ねる形で進んでいきました。
途中もっとのっていくべきところもありましたが、自分としてはこうした前場は初めてで、あぁこういう作り方があるのかと感じながら舞台にいました。
後半は手早く装束を着けていただいて、鏡の間(揚幕の裏にある大きな鏡のある空間)で比較的落ち着いた状態で待っていました。
とにかく楽しげな雰囲気でと思って勤めましたが、勢い余った箇所がいくつかありました。
最後の最後になってポカをしてしまうあたり、僕らしいなと苦笑してしまいました。
全体としては三役の皆さま、地謡・後見、そしてお客様に支えられて、いい意味で夢見心地のなか終わってしまったという感じです。
解説の中で金子さんが良く練られた番組と言ってくださったのですが、実は「融」自体なんとなく…といってはなんですが、やってみようかな~、という感じで決めました。
「羽衣」、「船弁慶」、「黒塚」など他に候補はあったのですが、それぞれに事情があり、結局「融」に収まりました。
しかし、結果的にはこの大曲に挑んでよかったなと思います。
番組全体の構成も、「翁」の素謡は僕からお願いしましたが、ほとんどは先生方からのお申し出によるものでした。
頼りない僕を見て、先生方が構成を考えて盛り立ててくださった結果、いい番組になりました。
中でも、高橋万紗先生の仕舞は、20分程お願いしても固辞なされ、これは致し方ないかと思っていたところ、翌日「あなたの記念の会だし、鵜ノ段なら」とおっしゃっていただいた一番でした。
たぶんどのお客さまよりも僕が拝見したかったので残念でしたが、今日にでも無事に終わった報告に上がろうと思っています。
そもそもこの会ですが、当初は「道成寺」の披きが終わったあとにと考えていました。
3年くらい前でしょうか、国立の稽古が終わった後、忠雄先生の甥御さんである洋佑君と焼肉に行って、自分の会の話になり「まーちゃん、やんなよ」と言われ、酒の勢いもあり「やる!」と言ってしまい退くに退けなくなってしまった…のでした。
でもそれがなければ結局忙しいのを口実にずるずるといってしまったことでしょう。
彼には本当に感謝しています。
会が近づくと、他の流儀の方からも「いよいよだね!」といった励ましの声をたくさんいただきました。
当日は親しくさせていただいている喜多流の大島輝久さんと、お姉さまの衣恵さん(実は初対面)もお越しいただき、嬉しい反面とっても緊張しました。
多くの方に支えられて初めて会ができることが痛いほどわかり、本当に感謝の言葉もありません。
次回以降は趣向を少し変えようと思っていますが、僕のような本当に下っ端の人間があがくことで、ほんの少しでも何かが動けばと思って懸命にやっていきたいと思います。
本当に有り難うございました!
これからも宜しくお願い致します。
中村昌弘拝
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