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「兼平」な一日 

夕方大鼓の稽古。
今日やる曲目は「兼平」
すんごーく遠い(上演機会の少ない)曲です。
しかし謡本を読んでみるとこれがなかなかいい詞章。

兼平というのは木曽義仲の乳母児で、義仲四天王に数えられるほど武勇できこえた武将です。
普通まず真っ先に自分を弔ってくれというのが能のセオリーなのですが、クセには
〝我よりも主君のおん跡をまず弔いてたび給え〟
という一節があるなど涙を誘うような忠臣ぶりが描かれていたり、キリでは奮戦の末、太刀をくわえた状態で頭から飛び込み脳天を貫いて死ぬという壮絶な最期が描かれていたりします。

そんなドラマチックな筋立てなのになぜ遠くなってしまっているのか。
世阿弥作だけあってストーリーはいいけどなんだか口慣れない表現が続くというようなこともありません。

考えられるのは動きが少ないということ。
実際に能を見たことも、型付を見たこともないのですがカケリなど舞事もなく、まとまった舞はキリのみというのに近い状況ではないかと思います。

もうひとつ。
「巴」と類曲であるということ。
「巴」は義仲の愛妾巴御前を扱った曲ですが、こちらも義仲最期の部分が見せ場となり女武者が長刀を手に奮戦したり、女であるがために最期をともにすることが許されなかった悲しみを描いたりして見どころ聞きどころの多い人気曲です。
この影に隠れてしまったのではないかと思うのです。

能では対になるような曲というのがあると、どちらか一方が近くなりもう一方は遠くなるという傾向があります。
たとえば「敦盛」「生田」
(他流では「生田敦盛」となっていますが、金春流では「敦盛」は79世宗家が復曲された曲で、それまで敦盛を扱った曲はこの「生田」しかなかったためこうした曲名になっているようです)
金春流では「生田」は近いとまでは言わないまでもそこそこ上演されるのに対し、「敦盛」あまり上演されることがありませんでした(最近は比較的出る傾向にあります)。
ところが他流では「敦盛」はだいぶ近い曲で、「生田敦盛」は滅多に見る機会がない曲になっているようです。

同じことが「小塩」「雲林院」でも言えますが、これも金春流では「小塩」が近いのに対し、他流では「雲林院」が近いという傾向にあるようです。

「兼平」-「巴」の関係はというと、どうもどの流儀でも「巴」が近く「兼平」が遠いようです。
今日は人間国宝の先生でしたが、その先生をもってしても、
「何十年ぶりかに謡ったよ」
と言わしめるほど。

そんなわけで今日は一日この曲と格闘していました。
だいたいの曲は詞章がなんとなくは入ってきたので、その上で囃子の手を覚えていけばよかったのですが、今回はまず謡を覚えるところからスタート。
いい謡とはいえ覚えるとなると結構なエネルギーを使います。
国立に行くまで実家で稽古、着いてからも順番までずーっと謡本とにらめっこ。
稽古の甲斐あって無事パスすることができました。

終わって次の曲のご指示が。
「忠度」「実盛」「頼政」とのこと。
へ、へヴィーだ…。
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