気がつけば「胡蝶」はもうあとひと月に迫ってきました。
通しで見ていただいたのですが、前シテはここのところ稽古不足で危ういところがちらほら…。
後シテは先週の研究会が終わってから「型変えていいよ」と師匠におっしゃっていただいたのでキリの型を少し変えました。
変えるといっても勝手にアレンジするわけではなく、もう一通りある型のほうの動きにするということ。
従来のが仕舞と同じ動きだったのに対し、ちょっと動く距離がのびます。
昨日も研究会があってそのときにやってみたのですが、まだしっくりきていません。
これはひたすら舞って体に叩き込むしかありません。
あとはとにもかくにも流れ。
今まで心がけていたとにかく丁寧に舞うことから、もう一歩、軽やかさが出せればいいと思うのですが、とーっても大変。
重過ぎない軽すぎないの絶妙なところにどうやったら落ち着くのか。
このあたりになると努力が必ずしも結果に結びつかない厳しい部分になってきます。
下手をすると小細工せずに何もしないほうがマシだった、なんてことにもなりかねませんが、努力ナシに今以上の結果が出ることは絶対にありえません。
あとは自分自身納得いくまで稽古するのみですっ。
昼から出稽古。
謡は今日で「経政」が最後だったのですが、キリはまとまった強吟です。
案の定謡い終わった後「はぁー」とお疲れのため息が聞こえてきました(笑)
そのあと国立へすっ飛んで行き、まず講義。
今日は将軍が義教に代わって世阿弥親子が遠ざけられていくあたり。
くじ引きで選ばれた唯一の将軍足利義教…あーそういえばそんな人いたなぁと遠い記憶を呼び覚ましながら聞いていました。
この頃編まれた「申楽談儀」にも話が及び、世阿弥の子元能のことが出てきました。
この人世阿弥の実子でありながら、父の芸談の覚書集的な「談儀」を置き土産に突如廃業して出家してしまった人なのです。
なぜかについては推測の域を出ませんが、父や兄(と思われる)元雅が将軍から疎んぜられ、また自分の才能にも限界を感じたのか、とにかくこのまま猿楽役者でいても明るい将来が描けなかったのでしょうか。
でも遺した「談儀」は貴重な資料として評価を受けているわけです。
一方、世阿弥に代わって時の人となった世阿弥の甥元重(音阿弥)は世阿弥を凌ぐほどの名手と言われながらも、能作や理論書などは全くなくその思想は後世に文字として伝えられることはありませんでした。
僕の今までの個人的な感情としては、むしろ世阿弥を佐渡へ追いやった悪人じゃないの的な変な誤解があったくらい。。。
能を捨てた元能とその才能を開花させた元重。
後世の能楽的功績評価としては元能のほうが高くなっちゃう。
美空ひばりの〝愛燦燦〟じゃないけど、人生って不思議なものですねぇ~。
終わってあと2科目。
まず1科目目「実盛」は無事完了。
次に「采女」をもっていったところ、
先生「今日はなんだい?」
僕「采女をお願いいたします」
先生「ケッタイなもんもってきたな~…」
と。
稽古は僕で最後だったのですが、最後の最後になってこの長い上に遠めな曲持っていったらそりゃそうも言われますわな。。。
でも一通り打った後、アシライ(謡うのを囃す)までしていただいてひとりで1時間近くお稽古していただいちゃました。
ありがとうございます♪
朝から稽古しっぱなしでヘトヘトになっていたのに、なぜか控え室に残っていた少年たちと遊んでしまい更にぐったり。
流儀では一番下っ端だから、後輩がいるのって無条件に嬉しいもんなんです。
でも妹よりも歳の離れた子達にちゃんづけで呼ばれちゃうのって、ちいとナメられすぎかも。。。
ま、いっか。
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