…夢の中で。
幸せな気分から覚めると体じゅうが筋肉痛でした。
若い子と同じ勢いで遊ぶとさすがに体が悲鳴を上げます。。。
さてさて。
連日国立での稽古です。
笛ともうひとつは謡。
といっても国立の研究過程に金春流の謡はありません。
では?というと謡のアシライをしていただくためです。
その先生はというと…、たぶん現代能楽界で最も恐れられている先生。
暮れに稽古会があったことは書きましたが、その稽古が終わってからお願いしに伺ったところ、「今度から来なさい」といわれ今日がその第1回目だったわけです。
金春流はかつて10年に1人くらいしかプロが出ないというような時期があったそうですが、他流に比べれば少ないものの、今は比較的若い人は多くいます。
人手が多くなったのはいいことですが、その一番下にいる僕にとっては研究会や稽古会などでなかなか地頭をするチャンスがまわってこないことになります。
師匠が僕くらいの歳のときには、研究会で毎月1曲は地頭の機会があったそうでそれが大きな財産になっているのだとおっしゃっていました。
地謡の序列というのは一度固まってしまうとまず変更されることはないようで、そうなると僕が地頭をできる機会が今後増えていく見通しはないわけです。
じゃあどうするか。
自分でその場を作っていくしかない!ということになります。
他の地謡構成員を引っ張るという技術は実際にその中に飛び込まねば会得できないことですが、謡の調子を決める、囃子との兼ね合いの感覚を身につけるということはひとりでもできることです。
もし次の謡が真っ白になってしまったときにはもちろん誰も助けてくれないわけですから、ひとりで謡うというのもそれ相応にメリットがあるわけです。
そういったわけで今日を迎え、「熊坂」を見ていただきました。
後半部分はとにかくパワーが必要な曲なのですが、気合を入れて頭っから全開で謡っていきました。
最初はよかったのですが、だんだん視界が狭まってくるような感覚を覚えてきて、声も枯れて出なくなるのではないかと不安になってきましたが、とにかく最後まで謡いきることができました。
終わって昔の金春流のことなどを話して下さいました。
その恐ろしさを物語る逸話は事欠かない先生ですが、ときおり笑顔を見せられて(こんなこと言うのはかなーり恐れ多いですが)優しいおじいちゃん的な貴重な一面を見させていただきました♪
お話のなかで「綺麗な声で謡いなさい」ともいわれました。
シテ方にとって声は大事な商売道具です。
でも、どうも謡って拍子に外れないとか調子だとか気合だとか発音といったものが重視されていて、声そのもののの音色というのはどうも同列に扱われていないような。
いや、ひょっとするとあまりにも前提条件すぎることなのかもしれませんね。
稽古室を出て緊張が徐々に解けてくるに従って疲労が襲ってきました。
動悸が激しくなるとかわかり易い緊張症状は出ていなかったのですが、やっぱり精神的にかなり張り詰めていたようです。
そのあとの笛の稽古のときは、〝獅子〟を吹きながらだんだん目の前が白くなっていってしまいました。。。
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