今日は国立で舞台。
まずは初番
「橋弁慶」のトモ。
端役なのにちょーいい素襖着せていただいちゃいました♪
ある先生から
「写真撮ってもらってお見合い用にするといいよ」
と言われましたが、いくらなんでもこんな格好のお見合い写真はないでしょーー。
この役は太刀持なので右手に太刀を持ちます。
大真面目に持ってしまうとこれがなかなかキツイのですが、おそらく一番しんどい
「小袖曽我」を勤めてコツを覚えたのでこれくらいなら大丈夫!
…と思っていたら途中で位置が微妙にズレて、これはひょっとして手の力だけで持たなくちゃいけないかも…と一瞬ゾッとしましたがなんとかなりました。
でもそんなことが影響したか、謡っている最中一箇所謡が全然出なくなりそうなところが一箇所ありました。
すぐ口が動いてくれたので事なきを得ましたが、録音を聴いてみると微妙に動揺が(というかこの箇所に限らず掛け合いの間があまりよくなかったかも)。
舞台は何が起こるかわからない。
恐ろしい場所です。。。
シテとともに中入りしてもうお役御免なのですが、若手がみんな地謡に出てしまっているので片付けに追われます。
おまけにこの曲は間狂言がすっごく短いので装束替えも大いそがし、その間に子方が出るのでそちらにも気を配らなくてはいけなかったりと大変です。
わずか40分ほどの短い曲ですが、小道具だけで長刀、太刀・小サ刀2本、中啓1本、それでもって大口2つ半切1つ(どちらも袴状のもの)と嵩張るものをはじめとして大量の装束。
(ちなみにトモは素襖なので中啓ではなく仕舞扇を持参します)
これもこの曲が遠い曲になる要因かもしれません。
次の
「半蔀」は非番。
今日は予め出しておいた作り物に中入という寸法でした。
よく出る曲なのですが、小書なしでもかなり演出方法に幅があるようです。
トメの
「是界白頭」は地謡。
こちらは小書つきだったので後半はいろいろと変化がありました。
いやーストーリーは結構ヘンテコリンながら地謡は謡いでがあって大変。
終わるとぐったりしてしまいました。
後シテの半切は変わった模様をしていました。
終わって他の方と稲妻の変形なのか、氷を割った模様なのかと頭を悩ましていましたが、シテの先生にお聞きすると
「えーと、うーん…幾何学模様だっけなぁ」
な、なるほどー。
オールマイティーな名前だ。。。
これで上半期装束を着る機会は終了。
来週の
「山姥」の仕舞に向けてがんばります!
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- 2007/05/06(日) 22:35:51|
- 舞台|
-
トラックバック:1|
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コメント:5
こんばんわ。
素襖(←何て読むのでしょうか?)、かっこよかったですね!
紋付袴より似合ってらして、お見合い写真にうってつけだと私も思います。
ところで、ツレとトモってどう違うのですか?
- 2007/05/07(月) 01:05:29 |
- URL |
- 木白山 #-
- [ 編集]
素襖の襖の字は、衣偏に包の字を書くこともありますが、何れもスオウと読みます。翁の地謡で着るときは侍烏帽子を頭に付け、シテ、ワキ、ツレ、ワキツレなど、登場人物のときは頭に何もつけません。「トモ」についてですが、親分について出る役の意味です。橋弁慶の場合、ツレと呼んでも良いし、太刀持ちと呼んでも良いし、トモと呼んでも良いです。ただし、たった一人だし、シテと一緒に長々と謡うシーンもないので「立衆」とは呼びません。……ア~「立衆」まで言い出すとややこしくなるかな?親分に付いて一緒に行動し一緒に長々と謡う役を「立衆(たちしゅう)」というのです。『紅葉狩』ならシテと一緒に出て長々と謡う女ツレを立衆と呼んで良く、ワキと一緒に出て長々と謡う家来たちを立衆と呼んでも良く、そのワキツレの内の御主人の太刀を持っている一人は立衆であるとともに、太刀持ちでもあり、長々とした謡のあとのご主人との問答の場面ではトモの立場でもあるのです。『小督(こごう)』では小督の局について出る女の役をトモといいます。もちろん太刀は持ってませんのでトモではありますが太刀持ちではありません。昔の謡本や書付には単に「トモ」としか書いてないこともあり、シテ方かワキ方か、あるいはアイ狂言なのか、男か女か、太刀を持つか持たぬか、文脈で判断しなくてはいけません。『舟弁慶』の「怪士(アヤカシ)」という役、これ、駆け出し君は知ってるかな?後シテ(知盛)のことではなくワキツレの内の一人・「この御船にはアヤカシが付きて候」という文句を言う人の事を大昔の謡本には「アヤカシ」と書いてありました。(猫マーク)
- 2007/05/07(月) 08:05:56 |
- URL |
- 金春安明 #lRLProEs
- [ 編集]
五星先生へ
御流儀の【ベテランのS・K先生】級になられると(※他のベテランの先生方も含めて…。)、『おっしゃる一言の重み?!』に【さすが!!⇒(^_^;)】と、思ってしまいました。
話を急に変えますが、私個人は、矢来能楽堂で催される【円満井会定例能】で、滅多に目にする機会の無い先生方の【仕舞】の姿を拝見出来るのが、とても楽しみです。(※特に、御自身で『長生きする為?!、もう能は演じない…』とおっしゃった⇒(^_^?)との【Y・S先生】の【仕舞・地謡】でのお姿を拝見できますので、【※マニアック?!なファンにはたまりませ~ん!!】)。 との、『You』の様なファンもおりますので、五星先生も【山姥:仕舞】を頑張って下さいませ。⇒<m(__)m>。
※因みに6/3(日)の国立能楽堂での【金春会】でも、マニアックな?!⇒『You』には、拝見したくてたまらない、これまた滅多に【三番目物】を演じない、『奈良の男前!!(ー☆)⇒K・H先生』の【楊貴妃】が有りますよね!!。 流石に両親からも、あきれ返られ『能から離れなさい!!⇒(ーー#)』と最近では強く言われるようになった事と、『You:』の『財政事情悪化?!⇒(ToT)』の為、超レア?!な舞台を拝見出来ず残念な限りです…。
※まとまりの無い内容となりましたが、【能繁期】で益々御多忙かと存じます。 お料理も得意でいらっしゃる五星先生でいらっしゃる様ですが、お体を大切になさってこれからの【能繁期】をお過ごし下さい。
料理の苦手な『You』おばちゃんでした。
- 2007/05/07(月) 11:50:28 |
- URL |
- You #4NpRk4Uk
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木白山さま
↑ということです。
ご宗家じきじきに教えていただけるとはラッキーですね~。
先生
ご丁寧にお返事書いていただいて有り難うございます。
怪士は初めて知りました!
重ねて有り難うございます。
Youさま
仕舞がんばりますっ。
- 2007/05/07(月) 21:59:11 |
- URL |
- 五星 #lVShtGQM
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小袖小袖は平安時代中頃に誕生したと思われる和服の元になった衣類である。それまでの着物が袖口が大きく袖丈一杯まで開いていたので大袖と言うのに対し、小袖は袖口が狭いという特徴がある。歴史平安時代初期までは下着として単衣|単が使われたが、中期以降の国風文化興隆
- 2007/05/25(金) 12:00:17 |
- 和服の言葉の意味を知る