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能楽史は江戸まで 

今年の出演予定に「放下僧」を追加しました。
初役で今年のツレの中で最も大役なのですが、書き忘れ。。。


今日は稽古→床屋→出稽古→講義 という一日。
床屋のおねえさんが妙にハイでした。
お年始ということで〝竹製極上夫婦耳かき〟をいただきました。
…って、なぜに耳かき???


能楽史の講義はついに江戸時代。
ここまで見てきていると金春座は厳しい歴史を歩んできたなと思ってしまいます。
だって史料に残っている限りでもずいぶん引き抜きにあってるんですもん。
当時上意には背けないとはいえ、足利義政によって守菊弥七郎、日吉源四郎が観世座に、徳川家康により金春左吉(太鼓方)が観世座に、秀忠によって春藤六右衛門が宝生座へ(下懸宝生流の起源)それぞれ転籍させられています。
そのときどきの大夫はどれだけ頭を悩ませたことでしょう。
しかしそんな苦難を耐え抜いて、金春流は80世宗家まで脈々と受け継がれています。
そんな長い長い歴史の一番端にいられることは大きな誇りですし、いつかこの世の生を全うしてあの世にいったたとき、そうした偉大なる先輩方にも「お前よくやったな」と言ってもらえるような立派な能楽師にならなくちゃいけないなと講義を聞きながら一人燃えるものを抱いていました。
(もっと集中して講義聴けよ、という声が聞こえてきそうですが…)

もうひとつ北七大夫(当時は〝喜多〟ではなく〝北〟だったそうです)についても教わりました。
喜多流初代ということは知っていましたが、実に波乱に富んだ生涯だったんですね。
堺の目医者の子として生まれ、素人の出ながら7歳でシテを舞ったため〝七大夫〟と呼ばれ、その才能から金剛弥一の芸嗣子となり、20歳にして大夫に。
ところが大坂の陣で豊臣方につき浪人。
遊女に能を教えて生計を立て、やがて秀忠に見出され一流をなすまでに。
他の四座の大夫が若年であったこともあり一躍時の人となりましたが、晩年に桑名の殿様と揉め逼塞。
後に許されるも、1653年68歳でその波乱の生涯を終える…
と大雑把ながらこんな一生を送った方です。
喜多流が武士の気風を残しているというのは一般的に言われていることですが、初代のこうした性格が色濃く流儀に残っているのでしょうね。

北七大夫については「喜多流の成立と展開」(表章著)という書に詳しく書かれているそうで、興味をひかれるのですが何せ900ページの大著。
ちょ、ちょっと気合が要るなぁ。。。
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カテゴリ: 考えごと(能楽)

テーマ: 能楽 - ジャンル: 学問・文化・芸術

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コメント

読書

今年もよろしくお願いします。
さて、ご提案です。
一日に2.5ページで年間900ページ
一週間に20ページだと1040ページ。
先生なら、朝飯前の楽勝かと・・・(^^)

うるP #1iXjGj36 | URL
2008/01/09 15:53 * edit *

私なら拾い読み

『喜多流の成立と展開』は、まず、自分で買うこと、そうすれば、自由な時に好きなページから拾い読みできます。私はそうやって面白い部分は大体「攻略」した感じです。

安明 #lRLProEs | URL
2008/01/10 23:56 * edit *

NoTitle

うるP さま
なるほどそう言われればできそうな。
でも案外(?)飽きっぽいんです、僕。。。

先生
国立にあったので、それを読もうと思っていたのですが…。
やっぱりちゃんと買って読むべきですね。。。

五星 #lVShtGQM | URL
2008/01/12 00:11 * edit *

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