実盛・紅葉狩
2008/03/16 Sun. 23:03
実はこの曲、能での地謡は初めて。
例の謡の稽古で一人で謡ったり、しっかり謡い込んで臨んだつもりでしたが、振り落とされないようにするので必死でした。
暗誦は個人の努力でなんとでもなりますが、呼吸とか間とかそういったものは舞台でないとつかめません。
あぁ「実盛」はこういう曲なんだなと身に沁みました。
ヒーヒー言いながらも精一杯謡って、この時点で結構ヘトヘト。
でも次の「紅葉狩」のツレがあるので休む暇なくすぐに着替え。
僕の着せていただいた唐織はツレにはもったいないくらいでしたが、お聞きするところによると打掛を仕立て直した物だそうで。
でも最初っから唐織にするつもりだったかのようにおあつらえ向きの綺麗な柄でした。
ただ着丈がギリギリで、座ってみると「うぐっ…」となるほど。
ま、唐織着流しという格好は、たとえゆったりめでも決してラクではないのが相場なのですが。
さて舞台へ。
次第の囃子で出てシテ・ツレ4人で同吟するのですが、やはりきつかったです。
鬘で耳がふさがれてしまっているので声を探ってしまったり、自分の声が出ているかに気を取られ上ずり気味になってしまったり。
舞台はいつも厳しい課題を突きつけますが、今回もそうでした。
克服するにはとにかく厳しい状況で謡い込んでいくしかありません。
稽古あるのみ!
そんな中でも一つ収穫が。
ヘビーな地謡を謡ったあとで、かつきつめの装束だったためか、クセの頃には両足の感覚がほとんどなくなっていたのですが、お客さまにばれないようジリジリ動かしていると上手い具合に血液が流れるポイントにはまり一気に感覚が戻り爪立てて立ち上がれました(引き換えに相当痛みも伴いますが)。
このポイントがわかったのは今後長く座るツレをする上でとっても心強いです。
ただし痺れが消えても疲労はちゃんと残っていて、帰り道普段なら15分のところが足を引きずり引きずり25分近くかかってしまいました。。。
コメント
舞台数踏むのみ
練習は所詮「独り舞台」。実際の舞台で、周囲の、さまざまな、思いの外の事柄に、瞬間的に適応するのは、やはり「舞台数踏むのみ」。そう思ってみると、舞台を踏める「駆け出し君」は幸せ者です。
NoTitle
お疲れ様です~♪
実盛はまだ見たことがないのですが、紅葉狩は大好きです!!
血が流れるポイント見つかると『よっしゃー!』って思いますよね。
すぐ足が痺れてしまうので私もよくポイント探しをしますが見つからないことばっかりです。笑。
久しぶりにお邪魔しました。
両足の感覚がなく....の文面。
驚愕して読みました。
そんな葛藤を抱えながらも皆さん、
全くそんなそぶりを見せずに私達を
能の幽玄の世界へといざなってくださっているのですね。
私は少しお茶をやっているのですが、
お茶は畳の上でに正座なので
舞台のヒノキの床の方が絶対痛いですよね。
とても身近に感じられましたデス。
NoTitle
先生
おっしゃるとおりです。
舞台に立てる幸せを噛み締めて一つ一つ勤めていきたいと思います。
巴さま
地謡についた当初は正座でこのポイントを見つけられず、キリにさしかかるとものすごく緊張したものでした。
特に金春流はハナ(一番下っ端)の座る位置が前列見所寄りなので、上手く立てないと舞台に置いてけぼり。
あまりに帰るのが遅くって切戸を締められてしまったこともありました(泣)
1年くらいで絶対と思えるコツを身につけたときはほんと嬉しかったです。
かわらたにときこさま
よく板の上に正座は拷問だ…などと恐れられますが、慣れてしまうとそこまできつくないんです。
能楽堂によっては板が硬くて痛い所もありますが、座りダコができてしまうそれがうまくクッション代わりになるようです。
むしろふかふかの座布団というのは天敵で、テキメンに痺れてしまいます。
法事のときなど、お坊さんはどうしてあんな座布団に座っていられるのかいつも不思議に思ってしまいます。
2008/03/21 22:27 * edit *
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